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日本棋院の囲碁指導員の資格を有する私の処に掛かって来た一本の電話。 此の電話の受話器を耳にあてたことから、何とまーぁ思ってもみなかったトンデモナイ事態に、私が巻き込まれて行く事に為ろうとは・・・。 煩雑かつ笑いの絶えない囲碁指導の生活展開が、電話口の先で待ち受けて居りました。 連載形式でこの物語をお届けします。 |
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《三眺煩雑笑動記》元・院生経験者 網走刑務所では、地方から受刑者等の押送で来る刑務官やら警察関係者等の宿舎を、武道館近くに用意して有り私も此処で一晩泊めていただける事に為った。 次の日の朝、顔を洗い刑務所の官炊で炊き上げてくれた朝食に箸を付けた時、昨晩の職員間で言い争いしつつも楽しそうに打っていた囲碁大会の事が思い浮かんできた。地元網走で獲れたと言うシャケの切り身が皿の上に乗っていたからである。 「滝沢先生、用意が出来ましたらば、これから当所の農園で有る二見ヶ岡農場へご案内いたしますが・・・」と、処遇課の職員が私に声を掛けて来たので、職員の運転する車で二見ヶ岡農場へと向かう事と為った。 農場は刑務所からすぐ近くなのかと思っていたら、車で走る事20分近くも掛かる遠い場所に有るのだと言う。なので、この農場には刑務所まで仕事を終えて戻ってこない(泊まり込み受刑者)がおおよそ40人ばかりいると言う。保安と諸管理をする職員が同じく6人ばかりいる。受刑者用の食事を作る炊事係の受刑者も同じく2人居り、言わばミニ刑務所の形が出来上がって居て、此処で大抵の事は用が足す格好になって居た。網走刑務所の本庁とこの二見ヶ岡農場が違う点と言えば、こちらには高さ5㍍程の物々しい塀が無い事で有る。金網の有刺鉄線で建物を囲ってあるだけのスタイルだから、金網を破って逃げようと思えば可能性は大きいが、此処に来ている受刑者は皆残り数カ月で仮釈放に為るという自由の身が保証されて居る者ばかりだから誰も不届きな考えを起さ無いし、農場から逃げようとする者も居無かったから、網走刑務所の農場からの逃走は30年近く皆無の状態が続いていた。 ≪これより先は国有地・網走刑務所二見ヶ岡農場に付き、関係者以外の立ち入り禁止≫ と言う立て札が出ている細い道を車で入って行くと、林を抜け出た先に、冬場の雪で辺り一面真っ白に為った唯っ広い農場が目の前に広がって居た。この農場5月末の遅い春に為って、漸くジャガイモの種イモを植え始めるのだが、トラクターで耕した畝床の一番端っこに一人一人の受刑者が横一列に並び、立ったまま足先で畝に小さな穴を開け其処へ種イモをひとつ落とし、再び足先で土を掛けて次へと進んでいく、この繰り返しでこちらの端から向こうの端へ漸く辿り着くころにはすでにお昼近い時間に為って居ると言うほど、二見ヶ岡農場の面積は広く、此の様な畑が此処には幾つかあると言う。 つまり、全国の刑務所の中でここ網走は農作業がメインの刑務所として知られており、此処で獲れた野菜等の作物は全国の刑務所へと送り届けられることも多い。網走刑務所が一般社会の市場へと売りに出している作物は別名赤いダイヤと呼ばれている【小豆】であり、この小豆の売り上げが法務省から網走刑務所に課されている売上のノルマで有った。 タダっ拾い農場の隅に建っている二見寮へと案内された。 今は冬場と言う事で、農場ではキャベツなどの作物は作れないから、秋口に獲りいれて貯蔵しておいた小豆の選別を、室内に真っ赤に焚かれているストーブの近くで受刑者達が熱心に行っていた。通称(豆選)と言う良い品・悪い品の選別作業だった。 私を連れて来た処遇課の職員が、ここの場長である氏家部長に本庁からの引き継ぎ連絡を入れ、私を部長に引きあわせてくれた。 「あぁ、滝沢先生の事は下の所長から連絡を頂いております。私がこの山を預かっている氏家です。今すぐに小林を連れてきますので、彼の事で滝沢先生に話に乗っていただける事が有れば良いのですが・・・」 二見ヶ岡農場の事を此処では(山)と言うらしい。 氏家部長が担当台脇に座って職員代理の経理関係をこなしている受刑者に声を掛け、ストーブの近くで豆選をしていた一人の受刑者を呼んでこさせた。 「今来る男は、名前を小林と言いまして、子供のころは元・院生経験者でした。大人になってから婚約者との間で金銭的な失敗が元で、傷害事件を起こし、其の傷が大層大きかったことも災いして執行猶予と為らず、初犯ながら実刑が下りた人物なんですが、滝沢先生が日本棋院の囲碁指導員の資格をお持ちだと言う事で、下の所長が小林の釈放前に話を聞いてもらえないだろうかと言う話が前々から持ち上がって居たんです。そんな訳で、今ここへ小林が来ますので、別室で彼の話を聞いてみてはくれませんか」 私が網走の囲碁指導を引き受けるには、どうやら色々な思惑等が重なって居たらしい事が、漸く解りかけて来た。 |
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《三眺煩雑笑動記》二見ヶ岡農場 地元組の森下担当は、新潟村上組の若林担当の仕掛けた放り込み2目抜き刧材に対し、すでに5分以上考え込んでいる。この刧材を一度どうしても受けないと此処が種石に為っているだけに負けが確定する。相手は森下担当が此処を受けても更にあと2箇所の刧材部分が残っている。でもそれは余り良い刧とは言えないが一応刧で有る事に間違いはない。 もし、森下担当が最初の刧を受けたら次は上辺を先手でハネて相手にハネ切り止めを打たせた後、さらにそのスミ反対側の左辺を又もや先手ハネで寄せて行こうと言うたくらみなのである。そうなると森下担当側は結局若林担当の先手寄せで2目減る事に為るから、全体としては2子負けと為るのだ。 考えている時間がほぼ10分近くなり、若林担当が怒り始めた。 「どうしたんだ。時間切れ制ではないから嫌がらせか?」 「解らん・・解らん」 「解らん解らんの駄羅駄羅・・・本当のダラ(注:アホの事)だね。ダラの味方は無時計か!」 対局なんだか、言い合いなんだか解らなくなりつつある。碁盤の前に集まっている他の職員たちにも、どうしたものかと言うムードが流れ、ついに庶務課長が、 「対局時計の事を決めておかなかった私のミスです。マナーと言う事を考えると、ここから先は森下君が10分以内に決断をしてください。それでも手を下さなければタイムアウトと言う事にします」と宣言をしたので、見物人一同が何となく落ち着いた。 囲碁は傍から余計な口出しは禁止なので、私は黙って見ているしかなかった。囲碁はメンツの問題ではない事を二人ともが冷静に為って思い出さねばならない。そして大切なのは、勝っても負けても礼に至って終わる事で有る。 見ていると、各自の工場担当と言う立場が優先してしまっている事が、そもそもの履き違えだと思えた。 私は庶務課長が二人に言い渡した事で、その場の落ち着きが戻ったのを機に、碁盤の前を離れ庶務課長を武道館入口付近に誘った。 「あの碁の今の場面なんですが・・・あそこは一旦刧を受けておくことが大切です。なんせ種石ですから。それを抜かせてはもっとひどく為る事は森下さんも解って居るはずです。」 「それはそうなんでしようが・・その後の二箇所の先手ハネはどうすれば?」 「まぁ、あれは有段者のテストというか、二手ハネを一度に守りきる箇所に石を受けておく事に気がつくかどうかの問題ですね。つまり、上と左からワン・ツ―のコンビネーションで打ってくるハネの手を受ける延長戦上に一手だけ受ける事に気が付けば、2目取りの放り込みの刧は受けても平気と言う事ですね」 そんな説明を入口付近でしている時、向こうの碁盤の前からワーッと言う完成が起こり、どうやら対局に決着がついたらしい。 結局、一旦は刧を受けたものの、その後先手で相手に2度打ちにも等しい両先手を2箇所決められて、木工場担当の森下部長の負けが確定した。 「終わったようですので、ここに居られる滝沢先生に少し解説をして頂きたいと思いますが如何でしようか?」 その場の職員たちの拍手も有り、僭越とは思いつつも、私は先ず囲碁を打つ前の大会目的に触れた「大将格のお二人の戦いぶりを拝見させていただき凄いな―ぁと感心しました。囲碁を打つ人の多くはあんなにも凄い情熱を持って一手一手石を打って居るんですね。私も若いころはヤッパリそうでしたから、昔を思い出しました。戦いと言う物は男に備わった本能かもしれませんから、どうしても我を忘れます。此処から碁仇と言う言葉が多分生まれたんだと思います。でも、どんな戦もいずれは終わる訳で、世界の歴史を見ても過って終わらなかった戦争はどこにも有りません。碁はゲームですから、戦争とは違い、終わったら最後は相手を称えて、又の対局へとつなげていきたいものです。」 私が話す言葉に二人の担当部長が頭を掻く仕草をしていた。 その後、庶務課長にも話して見せた、2箇所のハネを同時に受ける妙手について碁盤に石を再現して説明すると、「あっ!そうですねーぇ」という森下氏の声が聞こえた。 「こんなの三段くらいなら思いつくだろうよ」と、若林担当が森下担当に言うと、「熱く為って居ると、血が廻らなくなり言い負かされた気もする」「なにおーぅ」 どうやら二人は何時まで経っても好敵手の儘で、すぐに碁の技術論にのめり込み、それよりも大切な礼儀に気持ちが戻らないようだった。 まぁーそれも向上の原動力に為るのだから言わない方が良いかと、それ以上私は此の事に突っ込みを入れない事にして、その場を終える事とした。 こうして、私の歓迎会を兼ねた囲碁大会は終えた。 「明日午後からの便で発たれる前に、滝沢先生に網走刑務所の先に有る二見ヶ岡農場へご案内します。今回、先生に囲碁指導をお願いするに当たり、この二見ヶ岡に居る釈放前の受刑者に少し話をしてあげてほしいのです」 「二見ヶ岡?」 「囲碁にとても熱心な受刑者なんですよ」 「どう言う事なのでしようか?」 「それは向こうで本人に合って見てから、先生が気持ちを決めていただければ嬉しいのですが・・・今はそれだけしか話せません」 私には一体どんな話なのか想像もつかない。 |
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《三眺煩雑笑動記》和牛A5ランク 「そうそう滝沢先生、網走刑務所で和牛A5ランクの肉を生産している事をご存じですか?」 指導碁を受けながら庶務課長が私に話しかけて来た。 「えっ、A5ランクの和牛?」 「以前は塀の外に豚舎があり、受刑者の残飯処理の一環として豚を100頭近く生産していたのですが、親豚の入れ替えをせずに子豚の生産を長く続けていた処、どうしても近親交配の影響が出始めて、奇形の豚がチョクチョク生まれる結果となり、食肉業者へ肉を卸す事が採算割れとなった事をきっかけに、今度は和牛の生産を始めてみようと言う話が出たのです。飼育に携わる受刑者は幾らでも安い賃金で使う事が出来ますから・・(笑)飼育が軌道に乗るまでは紆余曲折は有ったものの、最近は品評会で評判を得て,枝肉でA5ランクの出荷が可能になりました。」 「へーぇ凄い事ですね」 「当所の面接委員を手掛けておられる歌手で俳優の杉良太郎氏が、自腹でこの肉の試食会等をもようしてくださり、凄く美味しいと人気が出たのですよ。今では市内で時たま肉の特別販売等を開くと、アッと言う間に売り切れる状態なんですわ。この肉は網走監獄という観光名所に卸していて、網走監獄和牛として売り出しています。明日滝沢先生が横浜へ戻られる際は、お土産に用意して有りますので、楽しみにしておいてください」 刑務所は残飯処理と言う面と、隔離されている土地内での生産だから豚や牛のし尿や異臭等の公害が土地の人たちへ及ぶ心配も無く、養豚業等は適していると、大抵の刑務所で行われているものだ。只、近親交配での弊害が出始めた事で、豚の飼育を和牛の飼育へと切り替えた事は、網走の場合良かったので有ろうと私は想像できた。 「お土産が楽しみです。それじゃーぁこの指導碁私が勝てなくなってしまいますわ。ワッハハ」 目の前3人の指導碁が一段落したことも有り、奥でヒートアップしている大将格の二人の様子を観戦したいものと思い、席を立ってそちらへと近づいて行った。 互いに相手をヘボ呼ばわりしているが、やはり大将格だけの事は有って、良い手が連続して打たれている。 場面は細かいから、そろそろ寄せで先手を獲る事が、この碁の結果に直結すると私は読んだ。 ほんの僅かでは有るが地元組が残しているのだろうか・・? そう思った時、村上組の大将が無理筋と誰もが思っていた処に刧を仕掛けて来た。2目の石の獲り上げが成功すれば、逆転勝ちと為る程の細かさなのだ。 「どうだ!この刧に負ければ、向こう一年は石を握れなくなるぞ!」 そんなケシカケル様な言葉尻を聴いて、森下担当は顔を真っ赤にして考え込んだ。 この碁、二人ともが互いの言葉のヒートアップで、引くに引けない事と為ってしまったのだった。 森下担当側には絶対の刧材が二か所だけ有るが、相手側にも有利な刧材は三か所有るから、どうやって此の局面を切り抜けるのか? 知らず知らずのうちに、私を含め此の勝負の観戦者が、此の勝負の行方に集まって来ていた。 どう切り抜けるのかと、森下担当の思案は続いている。 |
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《三眺煩雑笑動記》仁丹 「滝沢先生一局ご指導お願いできませんか」 庶務課長と雑談を交わしていた私の許へ職員二人が指導碁を頼みこんで来た。 横に居た庶務課長も、「それでは私もお願いよろしいでしようか?」と言う話が出たので、目の前のビール瓶を片づけて3面打ちの指導碁が始まった。 課長は三段、あとの二人は初段有るか無いかの実力ですとの申告で有り、此の二人にとっては今囲碁を打つのが楽しい時期なのだと想像される。 「オイオイ、お前さんの手はアキアジみたいに見事じゃないよ。樺太マスだなーぁ、そんな手は・・」 「何を言ってるんだ凧野郎!三面川で大凧でも揚げてるような浮いた手じゃないか、其の一手は・・」 奥で打つ大将格の二人の声が大きい。場面は白熱しているものと想像できた。 「あの二人は共に工場担当で、何でもかんでも我が工場が一番だと、普段から張り合っているんですよ。」 「そうそう、先日などは仁丹が凧の工場の受刑者にイチャモン付けて懲罰房へ放り込んだと言いますから・・其の受刑者が凧の工場に居ると、年末ののど自慢大会の優勝が4工場に来なくなるから、その芽を摘んだという噂です」 私の前で指導碁を受けていた初段格の二人が、奥で打ち有って居る大将格の二人の裏話を、横の庶務課長にチンコロ(*密告のことを言います)していた。 「ジンタン? って、なんですか?」私は聴いてみた。 「ジンタン・・って言うのはですね。4工場の担当である森下の渾名です。受刑者の誰かが以前付けた渾名で、森下仁丹と続ければ意味がお分かりかと」 「仁丹は4工場の担当を長年続けてまして、最近は此処で作って居る二ポポ等の観光用作業製品の売れ行きが頭打ちになった為、木材の端材を利用して合成碁盤みたいなパッチモンの碁盤を作り始めたんです。その事が、製材工場を担当している凧、否・・若林担当にとっては面白くない。若林担当の生まれ故郷の村上では、昔から堆朱など本物の木工品作りを手掛ける風土環境が有るから、偽物に近い製品作りには険悪感を覚えているんじゃないですかね」 「でも、仁丹に言わせれば・・・値段が高くて良い品でも売れなければ意味がない、刑務所の作業製品売り上げ目標達成に知恵を絞って居るんだと、作業統括に直談判しそのお墨付きを得ているから、凧とはどうしても反りが合わない。刑務作業は国の予算が下りてくるから、ガツガツ仕事をせずとも良いと言う、お役所仕事的考え、否、職人気質の凧と、年寄でありながら現代経営学を口にする仁丹と、色々ぶつかるんですな」 指導碁を打ちながら、刑務所にも色々な問題点や、人と人との柵が有るのだな―ぁと私は感じていた。 「この碁大会、俺が勝てば凧は向こう一年石を握るな!」 「何お―ぅ。上等じゃないか。俺が勝てば仁丹こそ、石を打つな!」 何だか奥では石の勝ち負けを巡ってヒートアップしている。 一体全体この二人の結果はどうなるのか? 単なる私の歓迎会が、こんなにも別の展開へと、その様相を見せ始めたのには、只々驚くほかなかった。 |
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《三眺煩雑笑動記》 シャケ対決② 午後7時前に、刑務所職員が日ごろから武道の鍛錬に励んでいる武道館で、私の歓迎会が開かれた。 普段は此処で夜の8時ごろまで、柔道と剣道の技を磨く事に余念の無い職員たちなのだが、職員間の親睦会の様なものが有ると武道等は早めに切り上げて、道場は途端に宴席の場と化してしまうと言う。 本日の歓迎会も畳の上に簡易テーブルを10卓程整え、アルコール類の飲み物と、知床沖で水揚げされたと言うシャケ数匹が、チャンチャン焼き風に仕立てられ、美味しそうな匂いが武道館の中に漂っていた。 「えーっ、本日は庶務課主催による、第15回職員慰労囲碁大会を行います。団体戦の部はすでに準決勝へ進出の4組が確定しており、個人戦の部はトーナメントの二山まで進出者が確定していますので、更に二山を勝ち上がり決勝戦まで消化出来るかどうかと言うところまで来ましたので、皆さん頑張ってください。この大会は普段で有れば土日の夜に行われる訳ですが、教育課の佐川統括が東京から受刑者の囲碁指導に携わってくださる、滝沢守行先生を本日此処にお招きいたしておりますので、滝沢先生の歓迎会も兼ねての第15回大会と言う事に為ります。それでは団体・個人共に優勝賞品ビール40本二ケースの獲得を目指して、いつも以上に頑張ってください。途中対局が終わった職員は、申し出により日本棋院の囲碁指導員の有資格者滝沢七段の指導碁をお願いする事も棋力向上の為によろしい事かと思いますので、多面打ちで指導碁を打って頂ける事となりました。・・・では、飲み物と食べ物に手を付けつつ、かつまた対局を大いに楽しんでいただきたいと思います」 武道館には、一般職と保安要員の差別なく50名ほどの職員が集まって来ており、賑やかな宴会が道場内で始まった。 鉄板の上で焼き上げられる沖獲リのシャケは、内地ではめったに手に入らない程、脂の乗った見事なシャケである。シャケのチャンチャン焼きは、こうした宴席にはもってこいの料理だった。 各席でビールと日本酒が開けられている間にも、囲碁好きな職員数名が、碁盤の前に座り石を打ち始めて居た。 私の隣には庶務課長が居た。一般職の庶務だけは統括と言わずに、課長という旧役職名が付いている。 その庶務課長に私は夕方佐川統括が言っていた、網走川組と三面川組と呼ばれている囲碁チーム名について、これはどのようなものなのか素直な疑問をぶつけてみた。 「何でもこの二つのチームが囲碁団体の双壁なんだとか聴きましたが、名前の意味する処は何なのですか?」 「ああ、其の事ですか。別に正式名ではなくて、自然にそう呼ばれているんです」 「どう言う事で?」 「ご存じのとおり、職員は何年かに一度や二度、全国各地の刑務所へと移動命令が出る訳ですが、ここ網走でも、移動して来た職員と、地元採用の職員がいて、それぞれのお国自慢が結構語られたりもします。偶々、新潟の刑務所から移動して来た職員が、網走港に揚がるシャケをみて、『シャケの美味しいのは新潟村上の塩引きシャケに適う物は無い。』と、自慢したところ、『いやいや北海道のアキアジと呼ばれるシャケも絶品だ。』地元愛の強い職員が反論した為、それ以降シャケの美味しい物はどこで獲れるシャケが最高なのか、事あるごとに言い争うようになったと聴いてます。網走川にも美味いシャケは溯上して来ますし、新潟村上市の三面川でも美味いシャケは大量に溯上してくる事で有名です。 偶々、囲碁好きで新潟からの移動組と、地元の囲碁好きで地元組と呼ばれる大将格の人物が囲碁で優勝を何時も争う程に成って居た事から、職員達が横で囃したてる事に成ってしまったと言う訳です。」 「成程、そういう事だったのですか」 私自身の味の感覚では、村上の塩引きシャケの味わいは絶品で、これでシャケ茶漬け等作ったら、何杯でも茶漬けが食べられる感じがする。北海道の新巻シャケとはまるで別物なのだ。 刑務所における工場内作業を管理しているのは、保安要員の職員で、これは工場担当と言い、受刑者からは『オヤジ』とか『オヤッさん』等と普段呼ばれている。親近感を持った呼び方は、自然工場担当が受刑者を我が子のように思う親近感を増幅するものだった。工場対抗戦のソフトボール大会や運動会が開かれる月とも為ると、各工場の担当は『我が工場が一番!』と受刑者達を嗾けて、工場に持ち帰る事の出来るトロフィー類の多さを、工場のステイタスとして自慢し合うのだった。工場担当が親で、受刑者達がその子供と言う、いわば疑似家族の様な形態が工場内には出来あがって来る。こうした柔和な雰囲気が有る工場は、工場担当の人心掌握が優れているともいえる。 工場どおしの競い合いが、いつしか工場担当者どおしの競い合いへと上り詰めて行き、何でもかんでも優劣を競いあう土台となって居たから、職員間でも、普段の生活の場にお国自慢が出てくるのも当然のことだったのかもしれない。 オードブルの小皿にチャンチャン焼きを少し乗せ、私は奥で始まった網走VS新潟のシャケ対抗戦とも言うべき二組の白黒の戦いを観に、大将格の職員の所まで足を運んだ。 片や囲碁五段、此方囲碁四段の実力者が今まさに、大きな刧の取り合いに縺れ込んでいた。 「ふーん、それが新潟流の手筋ですか?」と、地元の職員が言えば、「イヤイヤこの手筋はごく当たり前、新潟越山の冷たい雪風の様なしびれる一手を、これから打って見せるからよーく観て桶屋の仁吉さんってなものよ・・・」と、移動組の大将格は切り返す。 「ありゃーぁ・・・この一手、お菓子買っちゃったかしらね?」「うふふふ」 盤上の戦い以上に、口撃も白熱の様相を見せていた。 |
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《三眺煩雑笑動記》シャケ対決 網走刑務所の所長から囲碁情操教育指導ボランティアの委任状を正式に頂いた事で、私の囲碁指導員としての立場が確定した事に成った。 網走刑務所の工場区と受刑者生活棟等の建て替え工事は、おおよそ10年前にそのすべてを完了しており、昔のように寒地獄の刑務所というイメージは薄れている。 雪が溶け春の暖かさが戻って来ると、受刑者たちは工場を出て外で運動時間を楽しめるように成る訳なのだが、新たに出来上がったその運動場は他の刑務所となんら変わり映えの無いものとなり、昔のノンビリムードはすっかり無くなってしまったと言う。 施設を案内してくれる佐川統括の話によると、網走刑務所は他の刑務所に無い色々な特徴を過去有していたと言う。 刑務所が自己所有の広大な土地を持ち、それを利用して農業と植林作業を通じて受刑者の更生を長年図って来た。全国でも珍しい農耕刑務所として認知されていたのだ。 建て替え前の刑務所は、受刑者の運動も赤煉瓦の塀の外(元・牧畜用地)で職員看守の許、のんびりと自由にさせていた。サイロの残っている運動場で受刑者達が三三五五運動している様子を、牧畜地の裏山に建つ監視塔から双眼鏡で全体を監視して居たと言う長閑さが昔は有ったのだと言う。その運動場の横には刑務所の山から大量に切り出されてきた木材が山積みされており、製材用の鋸モーターが唸りを上げ、せっせと板を切りだして居る。そのチョット先では豚の飼育場が立ち並び、いかにも農耕刑務所というムードが漂って居たんだとか。 網走刑務所の受刑者の半分は、昼間塀の外の仕事に従事し、夜に為ると生活棟へ戻って就寝する仕組みとなって居た。塀の外へと出て作業に着く事を外役と言う。網走刑務所の所有する土地は余りにも広大の為、山奥の農場では泊りこみ作業と言って、職員も受刑者も刑務所へは全然戻ってこずに、生活の全てをそちらの宿舎で賄うと言う仕組みもあり、其のスタイルだけは今も続いている。この泊まり込み作業は受刑者が悪い気を起こせば、簡単に脱走も出来る環境下で管理されていた。過去に幾人もの受刑者が脱走を試みた事故も起こって居た。しかし、山中と言う特殊な地の理で有る為、逃げ道はごく僅かに限られていたことから、看守たちも其の要所をすぐに抑えてしまう事が出来て、数時間も経たないうちに御用となってしまうから、街中の一般市民に迷惑が掛かると言う事は少なかったらしい。 もっとも、山の農場へと送り出す審査が無事に通るのは、一年以内に仮釈放が約束されている模範囚だけなので、彼らには逃げる気も起きないらしい。 三眺山から切り出した木は、製材に廻し色々な木工製品としても使われていたし、運搬用の木製パレット作りにも多用されている。 塀の外に建つ製材所のすぐ横を、網走川が流れており、シャケの溯上も以前は数多く観られたと言う。シャケが刑務所の細い支流へと迷い込むのをさせない為に、今は支流口を防護ネットでふさいでしまったから、製材所で働く受刑者たちが、昼の休憩時間にシャケを釣り上げることも無くなったんですよと、佐川統括は笑って網走刑務所の特徴を色々話してくれた。 私は近代化した施設のあちらこちらを案内をしてもらった後で、刑務官用の食堂へ戻り、コーヒーを佐川統括と共にした。 刑務官用の食堂も、今は民間人の栄養管理師が担当していた。昔はどこの刑務所も、受刑者が炊場要因として職員の食事作りもこなしていた。これは官炊と呼ばれ、一般受刑者の食事作りは炊場と呼ばれ、別々に分けられていた。官炊を務める受刑者は別待遇で優遇されては居たけれど、其処はやはり懲役刑を務めている立場と言う事も在って、色々と問題点も出てくる事が解って来たので、今は食堂の民間委託化がどこの刑務所でも進んでいる。酷い話では、戦後すぐの食糧難の時代に、受刑者用の穀物を看守が官炊の受刑者に命じて、家から持参して来た弁当箱に詰めさせ持ち帰って居た事も普通に有ったのだと聴く。懲役と職員の慣れ合いが起こりやすい場面をなくすためにも、食堂の民営化は今全国で進んでいるのだ。 コーヒーを飲み終えたころには、網走の陽も落ちてきて、私の歓迎会をもようしてくれると言う話が届いた。 会場となる職員用の武道館へと、佐川統括は私を案内してくれた。 本日は私が網走泊りと言う事になる為、此処で職員間の囲碁大会を開きますという話も聴いていた。 「網走にも碁の腕前が凄い人が居られるのでしようね?」 私の質問に佐川統括は、 「此処では網走川組と三面川組の二つが対立しておりまして・・・」 「どう言う事なのですか、それは?」 佐川統括も、二つの組の対立が4年ほど前から続いていると言う事を、赴任して来た半年ほど前に漸く知ったので、詳しい事は、今夜の囲碁大会で打つ、組の大将格に聴いてみてくださいと、其処はあまり多くを語らなかった。 |
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《三眺煩雑笑動記》七寸盤がズラリ10面 所長室を辞し、佐川統括の案内で、毎週土日+祝日に以前は囲碁愛好会が行われていたと言う、情操教育更生プログラム室へと向かった。 今後、囲碁指導を引き受けるとなれば、どんな環境下で過去に囲碁指導が行われていたのかを知りたかったからである。 案内された部屋は和室20畳の広さが有り、青々とした畳が敷かれた床の間正面には、ものすごく大きな仏壇がデ―ンと組み込まれていた。収容者の親族が亡くなったり、色々な命日には此処で仏教の教戒師が法要や講和をしてくれる部屋を兼ねていることぐらいは、刑務官経験をした私にはすぐ解った。 刑務所の存在理由の中には、受刑者の更生は勿論再犯防止教育が今クローズアップされていて、その流れで人間らしく社会に適合して行く為には、社会ルールの尊重を再度教え直す事が大切と、ここの所長は職員に説いているのだと佐川統括の説明を受けた。礼に始まり礼に終わる囲碁教育は其の目的に添うから、今中止されている囲碁愛好会を再度始めてみようと、所長は囲碁教育の再開許可を裁可したそうである。 和室の押し入れ兼用具倉庫から、以前使われていた碁盤10面を、佐川統括が出して見せてくれた。 其の全ての碁盤が何と七寸盤ばかりである。刑務所には贅沢品なのではないかと思うほど壮観である。 しかし、私が目を凝らして碁盤を観察してみると、それらは全て合成盤という品物である事が解った。 「天板にシナの木の柾目を張り、碁盤全体をトノコで色調整し、目盛はカシュウ漆で書いた後、最後にクリアラッカ―で碁盤全体を仕上げてありますが・・・」 「流石、碁盤の事にもお詳しいですね。」 佐川統括は、此の碁盤が網走刑務所の木工場で作られている木工製品の一部であることを説明してくれた。 「ご存じのとおり網走の木工品は観光用に槐の木を削った二ポポ人形が有名です。其の他にも熊の彫刻等も作って居ますが、北海道で多く産出する桂の木から碁盤や将棋盤等も作っています。・・・と言っても、段々と大きな桂の木が取伐採出来なくなってきたこともあり、色々な指し物を作り終えた廃材を利用して、七寸盤でも価格を刑務所価格で8000円程に落とした合成碁盤を、社会で指し物経験のある受刑者が作ってみた処、これが意外と人気に為って、その後、木工場で2人の指物経験者がコツコツと碁盤作りに精出している訳です。その品物の一部が此処で教育用として使っている訳です」 色々な廃材を利用し、こうして立派な厚めの碁盤へと変身させる程の技を有する指物師が受刑者として居るなんて想像もしていませんでした。改めて刑務所には色々な人が更生教育を受けているのだと思い起しました。 佐川統括の立てた囲碁更生プログラム全体の説明を、和室で2時間ほど検討を兼ねて私は聴いた。 以前と同じように、受刑者が土日と祝日の昼間4時間ずつを囲碁教育に費やす事に為る訳なのだが、私は横浜住んでいると言う事もあり、網走へは度々出向くことが出来ないから、私が作った囲碁カリキュラムを元に、網走刑の教育課の職員が普段は囲碁の指導を担当して行く事と成った。 囲碁指導に適した職員が居るのかと言うと、囲碁や将棋を趣味の一つにしている職員は多いから、それは心配しないでも良かった。 刑務官の人達はそれぞれの工場で受刑者の監視をしているのだが、2時間に1度の休み時間が遣って来ると、待機室へと遣って来て其処で休み時間に囲碁・将棋を楽しむ事を習慣としている。休み時間と言えどもめったに外へは出て行かない。いつ何時所内の非常ボタンが工場のどこかから鳴されて、受刑者間の喧嘩等の現場に駆けつけなければならない態勢を執っているからだ。職員各々の休み時間と言えども安穏とはしておられず、自然と簡単な囲碁・将棋で休憩を執ることが多くなり、囲碁・将棋は職員たちのごく普通の休憩法へと成って居た。なので、私が作った囲碁のカリキュラムは普段でも容易に教育課の職員に担当してもらえると言う訳だ。 私は囲碁のテクニックそのものを受刑者に教え込む事を主な目的とせず、人間としての心のケアに重点を置く事を佐川統括から要請された。 私の人脈を通して、年に一度や二度はプロ棋士を網走に伴って行くことも受刑者の励みに為ると思うから、その点を佐川統括に説明してみた処、それは大いに歓迎しますとの返事をもらえた。 兎に角、囲碁カリキュラムを横浜に戻り組みあげなければならない。その稟議書を佐川統括の許へ10日以内に提出する事を確約した。 そんな検討会が終わり、今夜は刑務所の厚生宿舎で泊ってくださいと言う話が有った。 網走刑務所職員の囲碁有段者たちが私の歓迎会を開いてくれると言う事だった。 まぁ、彼らと一局も二局も石を交える事となるであろう事は容易に想像できた。 九州辺りの言葉で言えば「挑まれて芋引くようでは碁打ちのプライドが廃る」と言うものであろう。碁を愛する人種は、平均して闘争心が旺盛な人ほど、棋力が伸びると私はカネガネ言っていたから、網走刑の棋力がどれ程のものなのか大いに興味も有った。 |
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《三眺煩雑笑動記》 キュウリの天麩羅? 羽田から偶然にも乗り合わせた移監組と私は、網走刑務所差し回しのマイクロバスに乗り、まだ積雪の少ない市内を抜け、網走川の対岸に建つ刑務所入口へと遣って来た。 川に架かる橋を渡るとその先は全て刑務所の敷地と為る訳で、刑務所を釈放された受刑者は網走市内へと繋がる橋を渡ることで懲役モンからやっと娑婆人に立ち返れるのだと言う。 網走川に掛かるこの橋のことを受刑者達は通称『鏡橋』と呼んでいる。橋の上から川面に映る自分の顔をみて様々な過去を思い出し、そして未来を想像し心を新たにする処から、自然と言い伝えられる名前と成ったのかもしれない。 私が昔、府中刑務所からヤクザ者一人を不良押送として、ここ網走刑務所に移監目的で遣って来た時に在った、物々しい赤門は今は無くなって居た。レンガ作りの重厚な丸頭の形をした門は、入所してくる受刑者達の心を震えあげさすのに十分な威様を誇っていたものだ。 この赤門、今は市の観光施設として別な処に在る『網走監獄』の方へと移築され、観光客の目を楽しませていると言う。 近代的に様変わりした網走刑務所の正面玄関で私は移監組と別れ、佐川統括の後ろについて所長室へと出向いた。 ここの所長も網走刑へと着任して来たのは、佐川統括と左程差が無いそうで、お互い刑務所の改革に燃えて居られる事が、所長の話しぶりから良く理解出来た。 「いやーぁ、私も関東の人間だったので、最初は北海道の言葉に少しは苦労しました。考えてみると、北海道の人たちはそのほとんどが、昔屯田兵等として内地から渡って来た人達の集まりです。秋田弁も有れば新潟弁も在るし、はたまた九州辺りの解り図らい方言も混じり合うと言う、さまざまな要素が長い年月を経て自然に出来た独特の言い回しなんですな―ぁ。そんなに難しくない言葉や丸で解らない言葉など様々ですが、受刑者達に言葉の違いから喧嘩の原因だけは引き起こさせては為らないと考えて居ます。この点あたりを理解していただき、標準語で囲碁指導をしてくださる方が居られないかと考えて居たのです。」 「でも、関東から単なる囲碁の指導に来所と言うのは、チョットばかり大げさなのではないでしようか?」 私の質問に、半年ばかり前には地元の囲碁指導員も居られたのだけれど、体調不良で指導辞退を申し込まれた事と、やはり他の土地から来て居る受刑者にとって地元の言葉は理解し図らかったと言う指摘もあたのだと聴いてます。そして其の後釜が見つからないうちに、受刑者間の言葉の言いちがえからトラブルが起こり、現在囲碁愛好クラブは一時中止しているのだと言う。しかし、受刑者達から再開の願い事が願箋として幾度となく出てきているので、囲碁好きでもある所長がこの点を考慮して、佐川統括に色々プランを練らせたのだと言う。 「私は土地の者じゃないから良く解りませんが、そんなに北海道弁はややこしいんですか?」 「何でも囲碁愛好クラブの受刑者間でトラブルになった元の発言が、≪オイ!明日は昼飯の別菜にキュウリの天麩羅が出ると言うぜ≫と言う事だったと聴いてます。≪アホ抜かせ!キュウリごときが天麩羅の具に為ろう事なぞ、わてはとんと聞いたことおまへんわ≫と関西の血の気の多い者が言い返し、終いには有る、無いの言い合いへと発展し、保安要員の職員が駆けつける騒ぎにまでなったと言うのです」 私は所長の言葉を聴き、耳疑った。キュウリが天麩羅の具として食べられるのか? どれほど美味しい天麩羅に為るのか? 其処で私も其の疑問を素直に所長にぶつけてみると・・ 「あっははは、私自身も最初の頃は知りませんでした。キュウリと言うのはここいら辺では、魚の雑魚の一種であるキュウリ魚の事を言うんですな。朝のみそ汁の出汁取りなぞに使える魚です。刑務所だから安い魚を具材にして天麩羅にも仕立てあげて居ます。」 成程と合点が入った。 「若しよろしければ、夕食のおかずにでも職員食堂で作らせてみますか?」 横から佐川統括の合いの手に、私も所長も笑顔に為って居た。 |
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《三眺煩雑笑動記》 空路移監 私は羽田空港の搭乗ゲートを通過してAIR DOのCAの笑顔に迎えられ、イの一番に機内へと入って行き自分の座席番号を目で追った。 網走刑務所の囲碁指導に関する事前打ち合わせの為、刑務所側から郵送されてきた航空チケットは、木曜日羽田午前11時15分発女満別午後1時着の格安航空券である。 私としてはANAあたりの航空券であっても、事前予約ならば14000円前後で手に入るのに、手元に届いた予約券は10000円券の往復分2枚であるから、役所と言えども出費はかなり切り詰めて居る事が推測できた。 手にしたチケットの座席番号は、機内のかなり後方と言うよりも、ほぼ最後尾に近かった。 私以外の搭乗客も次々に機内へと入り、各々の席に着く。私は着ていたコートを荷棚に仕舞い離陸開始のランプが点灯するのを待っていた。 其の時に為って気が付いた事であるが、通路を挟んだ向こう側に6人の一団が席を占めて居た。彼らは何か小声で話しこんでいるので明らかに他人どおしではない事が解る。 そもそも此の一団の構成が少し変わって居る。少し若気の3人が野球帽とかスキ―帽を被って居るのに対し、残りの3人は髪の毛をキチンと整髪油等で整えて、雰囲気も帽子組よりも落ち着いており、いかにも大人組という感じであった。帽子組の3人は膝かけを各々掛けて居たが、大人組は膝かけもせず静かに書類等に目を通しているのである。 この6人組、私が機内へと入って来た時はすでに機内の最後尾付近に席を占めて居たので、一体何時搭乗していたのだろう? 私は帽子組の一人に何気なく目を向けて、フッと気付いた事が有った。 私が刑務官の職を辞し既に10年以上が経過していた。 帽子組は膝かけで隠れて居るので気が付かなかったのであるが、細かく観察してみると藍色の細引き紐で3人が数珠つなぎに為って居た。これは明らかに刑務所や警察用語で言う処の【押送】である。否、帽子組の3人を羽田から北海道の女満別空港まで連れて行くと言う事は、どこか関東近辺の刑務所から女満別のすぐ近くにある網走刑務所への【移送】と言うべきであり、刑務所から別の刑務所へと受刑者を移すと為ると、正式には【移監】と言う表現に為るのが正しい。 大人組の3人は姿こそ一般人の身形へ整えてはいるが、刑務官に間違いない。中の一人が課長級の責任者なのだ。 何と言う事だ。私が囲碁指導の事前打ち合わせで網走へと向かう機内に、昔の仕事に縁ある人たちが乗り合わせていたとは・・・。 そう言えば、私も昔一度だけ府中刑務所から受刑者を一人だけ【不良押送】した事が有る。 府中で対人関係がものすごく悪化して、府中においていたのではいつ何時別の組織の人間から命を狙われるハメにも為りかねないと言う事で、別の管区へと【移送】することが安全と思われ、その決済を所長に裁可してもらい、私を含めた職員2名で一人のヤクザを網走刑務所へと【移監】した経験が有った。 昭和の時代で有れば、東京駅から夜行列車で刑の決まった受刑者達を拘置所の職員が大変な苦労と気遣いをして【移送】して行ったものであるが、今は時間と移送の安全面を考慮して飛行機で行かれる所は飛行機で移動させると言うように、【移送】方法が変わって来たのである。 飛行機での【移送】行為が、一般人に不愉快な思いを抱かせない様に、航空会社と事前打ち合わせして、機体をタラップに横付けする前に、機体整備工場等の他の場所から受刑者達を事前搭乗させてしまうのである。 だから、私がイの一番で機内へと入って来た時には6人組の一団がすでに席を確保していたのである。 羽田を午前11時15分無事離陸に成功し、AIR DO の機体は女満別へと到着した。 「滝沢先輩こちらで~す」 空港カウンターの処で、私に囲碁指導の依頼を申し込んで来た佐川統括矯正処遇官と落ち合う事が出来た。 「迎えのマイクロバスを持ってきておりますので、それに乗ってください」 「マイクロバス?」 「ハイ、ちよっと言いずらいのですが、他にも乗り込む予定があり、マイクロバスにしました」 他にも乗り込む予定だったと言う人は、やはり羽田から奇遇にも乗り合わせていた【移監】組であった。 私と移監組を乗せたマイクロは、冬枯れの葦を横目に観ながら網走湖脇の国道を一路網走刑務所へとひた走って行ったのである。 |
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《三眺煩雑笑動記》あやつける?? 「ハイハイ・・」と言いながら、隣の部屋に置いてある電話へ駆けつけ、喧しく為り続けて居た電話の受話器を取り上げました。 相手は私が昔、府中刑務所で刑務官教育を担当していた時の教え子でした。 その教え子だった男は、なんとまーぁ今では網走刑務所の統括矯正処遇官へと出世していたのです。 話を聞いてみると、網走刑務所へは3カ月ほど前に栄転してきて、ここの所長から受刑者の情操教育を熱心に頼みこまれたのだとか言っていました。 「・・・と言う事は、君はいま教育課長なのか?」 「否、今は刑務官も役職の呼び方が先輩の居られたころとは違って、昔の保安課長が統括首席等と言う言い方をするんです。私はその首席のすぐ下に位置する統括矯正処遇官と言う言い方で、昔式の教育課長に該当します」 まぁ、話は色々と続いたのだけれど、要するにこの後輩だった男が、網走刑務所受刑者の情操教育に燃えて居て、色々と教育科目の有る中で、受刑者が懲役刑として科せられている強制作業が終わった後の自由時間に、囲碁好きの受刑者達を集めて囲碁教育を施したいので、その指導員として網走まで囲碁を教えに来てくれないだろうか?と言う事だった。 月に2度、横浜から網走まで囲碁指導に通ってきてほしいとの,起っての要請だった。 私も過去刑務官として勤務していたから、此の様な要請に対しては、一般社会の様な報酬が出ない事は良く知っている。いわゆるボランティアで有るから、交通費と刑務所職員と同じ食事を提供するぐらいの事で、下手をすると出費で自腹をきる事も珍しくは無い。矯正活動のなんたるかを理解していないことには、馬鹿馬鹿しい話なのだ。 「何でまた囲碁なんかの教育を受刑者に施そうと思いついたのだ?」私は後輩に聴いてみた。 「それがですねーぇ・・・」後輩の言うところでは、網走刑務所はB級刑務所の為、収容されている受刑者はほとんどが再犯で、全国各地からここ網走へと送り込まれてきている。 つい先日も、地元の道民受刑者と関東のヤクザ者が、言葉の言い方で大きな喧嘩騒ぎを起こしたと言う。 道産子はオシャレする事とか、カッコつける事を北海道弁で『あやつける』と言う。しかし、関東のヤクザ者にとっては同じ『あやつける』と言う言い方は『文句を付ける』とか『喧嘩を売る』と言う事なのだ。 そうした地方・地方の言葉の差から引き起こった喧嘩だったそうである。 「囲碁を教えてみようと思いついたのは、囲碁は礼によって始まり、礼によって終わると言いますよね。使われるルールには方言と言う差も無い訳ですし、囲碁は黙って居ても相手の気持ちを読み取ることが上達への秘訣なので、色々な考え方、観方等を学んでいくことにより、人間理解が上手く出来るように為るのではと思う訳です。先輩は囲碁指導員の資格をお持ちなのですから、この点を活かして是非ともお力をお貸し願えませんでしようか?」 オイオイ! 私は横浜に住んでいるんだぜ。何でまた地の果て網走くんだりまで行かなくてはならないんだよーぉ。 そう思う一方で、定年退職してからかなり時間が経過したけれど、年金暮らしのつつましい生活を心掛けて来たから、呑気な旅行などトンと縁が無かった事を思い出し、毎月2回だけならば交通費向こう持ちでの北海道への旅も悪くは無いか?とも考えた。 網走は昔、地番が定まって居ない地と言う事で番外地と呼ばれていたが、今は三眺山の東側に刑務所が位置していることから三眺という地番が付いているのだ。山の上からは三つの展望が利くと言う意味である。 私はしばらく考えていたが、日本最北端の刑務所で1700㌶もの広大な農地を所有する網走刑務所に、とりあえずは出かけて行ってみようと決心した。囲碁の指導がどんな具合に出来るのかは、現地を先ず観なくては・・・と言う事からだ。 こうして紛らわしく,かつ又大いに笑の入り混じった囲碁指導員の騒動が展開する事となった。 |
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