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なんでも掲示板 2019年06月19日
(ID: - )
囲碁にこだわることなく、何でも書き込んでください。

例1
 ○月△日、×時頃、自由対局しませんか?

例2
 お勧め囲碁サイト紹介

例3
 近況報告

などなど、囲碁は打つ気はしないが、掲示板に八つ当たりならしてやろう^^とかね。
(それでも最低のマナーは守れるものとします)

この板は全ユーザーが参照可といたします。
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No.3 2015年01月04日 
(ID: - )
【伝言板】

supemachiさんへ

《まった~あり》新参者のコメットです。マッチ先輩と一度【自由対局室】で、対戦方々雑談を交わしたいと思いますが、如何なものでしょうか?

当方は天下の暇人故、御時間等の日時はマッチ先輩にお任せします。

この伝言板に御返事頂ければ幸いです。

No.2 2015年01月04日 
santamaさん
日本の武士道的な美観が囲碁に限らず、諸々の方面で邪魔になっていることは確かでしょう。
たしかに、世界で覇権を勝ち取ることは、男性的な闘争本能にあっては重要なことです。また、日本国内の人口動態を鑑みても日本人は世界に目を向けなければならないし、その武士道的な美観を捨て去らなければならない日も近い将来、必ず訪れる日が来るでしょう。
世界各国に旅行に出ても、これほどまでに「相手があって自分がある」(日本人的価値観)ことを意識させられることはありませんし、それが、いかなる場面においてメディア等で素晴らしいと賞賛されることはあっても、追随されることはありません。

それから、日本人には形から入るのが悪いクセがあると思います。学校教育体系からして、一つの問いに対して、過程や正解は一つしかあってはならない、そういったものがあるような気がしてなりません。複眼的思考なんて言われ始めたのはこの20年間のことですから。
定石や布石の勉強をして、覚えることもそれは大事ですが、あくまでそれらは誰かが実践した手を正解として記憶しただけです。
私は他に倣えというのはあまり好きではないので、そんな勉強はほとんどしていませんから、上達しないのはあたりまえなんですが、「道なんてものは、自分が通った後にできるものだ」そんな碁が打てればいいな、と思います。
No.1 2015年01月04日 
(ID: - )
その昔、羽根直樹九段が小学生だった頃、中部総本部で時々教えてもらいました。対局後、父親の泰正先生(九段)が私の悪手は無視して、直樹先生の手を戒めていたのを良く覚えています。その直樹君がプロの「先生」になり、棋聖を取られた頃「(碁は)戦わずして勝つ!」などと言い出されて、日本の碁は終わった、と思いました。(泰正先生は典型的なケンカ碁です^^)

直樹先生が小学生低学年当時は山城九段がまだ三段くらい、重野由紀二段が院生であったと記憶しています。山城さんは「碁は戦闘的なものでなければならない」とおっしゃっておられ、戦うのか戦わないのか、どちらが正解なのか・・・(汗)。

近年の日本の国際戦における状況を鑑みるに、日本の上品な碁では世界に通じないのは明白でしょう。数年前に中国棋院に旅行したとき、「日本のトッププロなんて、中国の地方棋士程度の実力もないです」と、真顔でいわれたのを思い出します。身近にいる碁敵(勿論アマ)で一対一の真剣碁で日本の(高段)プロに勝つ人が数人いますので、中国人のいっていることは間違っていないと思います。

韓国の李チャンホさんは、韓国人に言わせると、300年に一人の天才らしいです。そのチャンホさんが若いころはまさに「戦わずして」勝っていました。殆ど半目から1.5目差ていどの碁。それだけ並外れた形勢判断力があったわけです。その彼が第一線を退き、セドルさんたちに天下を明け渡したのは、彼自身いうとおり、年齢とともに形勢判断力が落ち、戦って勝つしかないからだそうです。

年齢とともに棋風も変化せざるを得ないのでしょうが、それにしても大竹美学といわれるように、日本の碁は品が良すぎる気がします。仮に負けてもこうは打ってはいけない、などといわれると、何か日本の武士道みたいです・・・。
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