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外来の第1章は、主人公・新井英彦が得体の知れぬ男・金海英夫と知り合い、韓国の囲碁界の裏側をかいま観る事から、自身の囲碁の棋力を向上させて行く展開。 現在世界一とも言われる韓国棋院のルーツ、そして囲碁を通して韓国人が抱く、日本囲碁界への怨念・・・それらが複雑に絡み合って、主人公・新井英彦が目覚める(真の棋士への道程) |
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【連続囲碁小説】 外来 第1章 裏打ち 21 尾崎が横に座る金海に肝心要の話をするように促したので、金海は英彦の顔に眼を向けた。 「いゃーぁ、英彦君立派だったよ。私の処の大西を最後で逆転して抜き去るなんて・・・それも、逆コミ10.5目ものキツイ足枷が付いての事だったからね」 英彦は、そんな話よりも金海が次に何を語るのかに心が揺れていた。 「そうそう、肝心の話ですがね・・・実は君に全ての旅費と韓国での諸々の経費を私が責任を持って支払うので、この写真の男に会って貰いたいのだよ。」 金海が英彦に見せた一枚の写真の中には、頭髪の薄い如何にも韓国人と言う、年の頃60代の男が一人写り込んでいた。 「此の男は、崔志龍(チェ・ジヨン)と言って、碁を打つ男だ」 「此の男の許へ、何故僕が会いに行かねばならないのですか?」 「君の御父さんと関わりの有る男なんだ」 「父が?」 「此の男は、早稲田一帯に睨みを聴かせている人物の紹介で、以前私の碁会所へ真剣を挑んで来たんだ。勿論、紹介者が付いて来たので断り様も無く、大西が対応した所、コロリと勝負に負けたので、当時私の所で真剣を手掛けていた君の御父さんに電話を入れて、大西の負けを取り戻すべく、更に賭け金を大幅に上乗せして、秘密のアジトで真剣を一局打ったと言う訳だ。その試合は壮絶を極めたのだけれど、最終的にジゴと為り、白持ちの御父さんの勝ちで有った筈が、何処をどうしたのか崔の奴が白石を別に1個握っており、並べて見せた図では崔の勝ちと言う事に為ってしまった。君の御父さんは、そんなインチキに納得が逝かず、盤上の全ての石数を数えはじめた。インチキをして石を持ちこんで来て居れば石数が当然違う事に為るからだ。しかし、数えだした其の時に《紹介者の俺の顔を潰すのか!》と、崔の横に居た男が、筋者特有の恫喝で、碁盤の上の石を取り崩し碁笥に放り込んでしまったと言う訳だ。」 「それでどうなったのですか?」 「こちらとしては納得いかないので、もう一局打つ・・と言ったのだが、向こうは聴く耳を持たず、その場に有った額面2000万が記入されている線引き小切手一枚を鷲掴みにして立ち去ったと言う訳なのだ。小切手はともかくとして、それとは別に、此処に居られる尾崎先生が賭けていた《日本における・某利権書》の要求が次の日に早稲田のこの家へ届いた事の方が、我々には痛手だった。」 「ふーん・・そんな事が有ったんですか」 「其の事で、君の御父さんは、韓国へと去って行った崔志龍を追って、渡韓したと言う訳なんだ」 「だとしても、何で父は未だに向こうに居るのですか? 其の崔と言う男と会ったのではないのですか?」 「君の御父さんからの手紙に依ると、崔志龍には会っているのだけれど、彼は向こうの裏社会の人間と関係を持っており、対局は紹介者の手札を持参して居ないと組めないとの事だ。これは多分言い逃れかもしれん。真剣師は一度負けた相手とは打ちたくないと言うのが本音の所なんだと思う」 「父が、韓国に居る間に、父の父である・・・つまり僕の御爺さんに当たる人と偶然再会したと言う事なんですか?」 英彦の頭の中には、この尾崎邸へ来る前に、大西友也から聞いていた、暴力団の事が浮かんでおり、其の事をもう少し聞き出したかった。父が韓国から帰れない理由は、お爺さんとの再会の他にも何かあるのではと思われたからである。 英彦にチラリと今回の話の裏を漏らしていた大西は、尾崎邸の和室から駒下駄を引っかけて庭に出ており、金海の話に加わりたくない素振りで、第三者を決め込んでいた。 |
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【連続囲碁小説】 外来 第1章 裏打ち 20 大西友也の頭の中には、≪今の処右辺の黒石の一団に生き形は無い物の、イザと為ったら(18-八)と一本切り込みを入れて、白の94を取り込み何とか手にして遣ろう≫と言う真剣師特有の奢りの考えが有ったのである。 その為には更に先手でこの黒石の一団にもう一眼作る算段をせねばならなかったのだが、其れを何とかする為には、下手な動きをしては為らないと、時間を掛けて読みを入れ始めた。 「逆コミが有る分、今の処大西が有利だろう・・・?」と、盤横で二人の対局を見続けている、尾崎と金海の間で小さな囁き合いが聞こえて来た。 大西が暫く考えてから、黒143と置いて来た石を観て、英彦はこの辺りの変化を読んでみるものの、真剣師の大西が仕掛けて来そうな展開図は、英彦自身がかなり前に打った白100の石が、大西の右辺の黒石の一団に絶対の急所として利いているはずだから、刧を仕掛けられての連続打ちを喰らう事に為らない限り、黒の一団に生きは無い物と読見切っている。 なので、英彦は白148と黒149の交換を先手で終えてから白150と右上隅にとりかかつた。 しかし、チョットした手順違いから此の150の石を大西に黒165とあっさりと捥ぎ取られた。 この黒165が打てた事で、大西はコミの分を考慮に入れて逃げ込み体制に入った。 英彦はその大西の石に必死で附いて行き、差がこれ以上広がらない様に我慢の連続である。 『碁と言う物は、自分が最善の手を打てたとしても、それだけで勝てると言う生易しいゲームでは無い。寧ろ、我慢して相手に喰らいついている内に、相手が自ら間違えの手を打ち転んでしまう事で、勝利の女神が此方にほほ笑むモノじゃわい』と、杉山快智導師の声が英彦の頭の片隅で聞えていた。 幾つかの我慢が続いた後で、大西に甘い手が出たのを英彦は見逃さず、白198とここに一発かましの手が先手で打てた事は、此の対局の勝敗を決定づけるものであった。 「チッ・・・!」 大西の口端から後悔とも、悔しさとも解からぬ声が漏れ聞こえた。 英彦の白200の追撃に黒は4子を継げず、さらに黒203と迄泣きの入った継ぎを大西は打たされる羽目に至っていまう。 後は《投げ場》を探しての大西の石が幾つか打たれるだけで、ついに逆コミ分迄稼ぎだしてしまった英彦の完勝であつた。 「これまでか・・・昔の切れ味は観られなかったな。」尾崎の言葉に、大西友也は眼を閉じてしまった。 真剣師の世界には、局後の検討は存在せず、盤上の石をサッサと碁笥に仕舞い込んだ大西は、光まばゆい尾崎邸の庭へと出て行ってしまった。 大西友也が居なくなった和室には、英彦を含めた三人が居残り、一瞬の静寂が出来たものの、亭主の尾崎は口元に運んでいた玉露をおもむろに茶卓に戻し、金海の顔にチラリっと眼を遣った後、 「金海君それでは、例の話を英彦君に聞かせて見てはどうかね?」 と、話の進行を促したのである。 |
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【連続囲碁小説】 外来 第1章 裏打ち 19 大西は英彦の白32の動きだしを観て、上辺星下へと打ち、白からの雪崩れ込みを止めた。その分英彦が右上隅一帯を勢力下に納められれば良い訳で、もしそれが不発で有っても最低中に有る黒石は此方のものだ、と言う読みが英彦には有ったのだ。 大西が黒39と白石34をポン抜いてみるとやはり黒リードには変わりないが、白40と連絡形に出来た英彦の白石の力は強い物が有る。 大西が黒41と上辺を固めた隙に、英彦は一旦白42と此方にモタレテおき、中央に並んでいる六個の黒石をマトにしつつ大きな壁を作ろうと考えた。 白52までと為って見ると、明らかにリードは白黒逆転している。しかし、大西とて真剣師の技を繰り出して、黒53~57と左辺をすべって来た。続く黒61と分断の手は逆に英彦の白石の生死を決めかねない厳しい手である。英彦がここを下手に動けば相手の思う壺だ。 英彦はかなりの長考を要した後、白62と打ったのであるが、大西は今度は黒63と下辺へサラリと手をかわしてしまった。こう為ると右辺一帯はうかうかしておられないので白64と芯を入れておく。 途端に黒67のパンチが飛んで来た。 ここで黒67に対応するよりも、侵略止めの壁を作った方が、白64の石に連動していると考えた英彦は、捨て石作戦を取り、下辺を地にした方が白リードを保てる計算である。 ユトリの出来た英彦は、白74と助け船を出す。しかし、真剣師の感が鋭い大西なので、これには答えない。 《いずれ英彦は左辺隅へと手を入れつつ今は死んだ振りをしている白石の復活を考えているな。為らばここは大きい此方を完全にトドメをさしておく事が大切か?》 そう判断した大西は、確実に黒75と我慢の手で答えた。 韓国の囲碁用語に【未生・ミセン】と言う言葉が有るが、此の左隅が、正にミセンに当たる訳の部分ではある。 英彦はいずれは・・・と考えていた部分に大西が手を入れた事で、ガッカリはしたもののも白74の石の一慣性を貫き通し、さらにリードを広げて行きたいと思ったのである。その為には白76と此方から絡んで白の74への応援をして見せる。 こうした手が打てる豊かな才能は、三宝寺での早朝訓練の賜物である。 先手で白84と打てた事は非常に大きく白リードは更に広まった。 大西は劣勢に立った場面をどう打開すべきかに30分以上の長考を擁し、取り敢えず黒85から動き始めた。死んでいる様な石を活用すべきかどうかを考え抜いた末の判断である。英彦に白100の手を打たせる為の誘導なのだ。 その結果、黒103からのエグリはとても大きく、ここで英彦のリードは一気に縮まる事と為ってしまった。 英彦が白108を打ち終えた時点で、逆コミ分を計算に入れると、ついに大西友也の再逆転が、見事に成立したのである。 英彦の顔に焦りの色が見え、白110と言う疑問の手迄が飛び出した。 大西に黒123を打たれてみると、逆コミ分を入れて黒12目程のリードを捥ぎ取られてしまったのだった。 それでもなお黒石に喰いついて行かねばならない。少しづつではあるが、白131~135迄と其の差を縮めて行く。 英彦にとって、此の勝負一番の心配事は右下隅の三・三への黒の打ち込みで有る。ここへ先行して黒石を置かれれば、それだけで勝負は終わってしまう。 そんな心配事が頭に残っていた為、英彦は大局を見逃し、相手が手を緩められない急場の存在に気が付かず、白136と温い手を打ってしまった。 これを見た大西友也の顔には《まだまだ甘いぞ!》とも言うべき、ニンマリした笑みがこぼれていた。 |
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【連続囲碁小説】 外来 第1章 裏打ち 18 英彦が白6と高く挟んでみたものの、逆コミ10.5を考えてみれば、此のスタート時点の布石では、おそらく黒側に20目以上のリードを許してしまっているはずである。 大西は左辺の1と3の石に英彦が手を伸ばして来ない様に、早めに黒5と掛って来ているからだ。 白番の英彦としては、普通に打ち回していたのでは、アッサリ負けが確定してしまうから、ここは乱戦に持ち込むしか勝ち目は浮かんでこないのだと考えた。 しかし、大西は百戦錬魔の真剣師なのだから、例え乱戦に持ち込まれたとしても、さまざまの技を持っているはずである。 そんな自信が大西には有りそうなのに、なぜか乱戦に持ち込ませない様にサラサラと、黒7~9までを決め打ちし、英彦が白10と受けざるを得ない仕掛けを施して、黒11と白の6石に付けて来て上辺をガッチリと固めに掛った。 この時点で、黒のリードは更に大きく為ったはずである。 英彦は父から教えて貰った、地数の予想計算をしてみた処、黒11の時点で、逆コミ10.5を考慮に入れて数えてみると、黒30目以上のリードを許してしまっている。 だからと言って、白の6がここでバタ喰って動けば相手の思う壺だと判断した英彦は、白6を一旦死んだ振りさせておき、他の大場へと先行する事と決めた。 白12と少しばかり遠目から取りかかりを見せた処、黒は一番きつい13の手で応じて来たので、英彦はここで10分以上の考慮時間をとり、おもむろに14と黒1の石の肩を突いて見せた。 これで黒1から動かねば為らなくなった筈である。 大西の手は、英彦の12と14を出来れば切り離すぞ!とばかり、まっすぐ上へと石を伸ばして来たので、白16とぶつかって見せる。 白のぶつかりに対して、黒17~19と動いたので、漸く英彦は大西友也を無理やり乱戦に引きずり込む為の、白20の手を見せた。 こう為ると、黒21、白22は必然の進行だ。 大西の石は更に23と伸びて、白の20をあわよくば丸呑みしょうと中央へ石を伸ばして来る。 白20の手が呑み込まれない様に白は覗きの手を連発。 普通は覗きはよくない事とされているのだが、白20の石の応援に何か役立つであろうとの考えなのだった。 英彦は白28と《馬の顔》で少し楽な気分に為れたので、今度は予定通り、白30と上隅の黒3の石へフェントを掛けてみる。 この白30を打てた事で、黒の全体的リードは逆コミをを計算に入れて、黒11.5目リード位には近ずいて来たと思えた。 大西は上辺をガッチリと守るべく黒31と一間飛び受けした。ここの地点が相場ではあるのだが、英彦の頭の中には兼ねてよりの思惑が有って、ここで漸く白32と6の石から動きを見せたのである。 英彦の計算では、此の白32を打てた事で、一気に白黒の差が縮まり、逆に白少しはリード出来るのではないか? と言うのが、20分ばかり考えての結論であるから、英彦の気持ちは急に楽に為ったのだ。 |
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【連続囲碁小説】 外来 第1章 裏打ち 17 英彦は、大西友也が尾崎邸に入って行ったと思われる4~5分後に、尾崎邸へと一足遅れて入って行った。 五十歳前と思われる女中に案内されて、18畳の和室に来てみると、そこには既に金海英夫と大西友也が待ち構えて居り、亭主の尾崎の姿はまだ見えなかった。 庭先には大きな池が掘られており、悠然と泳ぎ回る鯉の姿も何匹か見て取れた。 都会の中にこんな大きな邸宅を構えている尾崎と言う男の正体が一体全体なんなのかは、社会経験不足の英彦には想像も出来ない事で有ったが、三宝寺の杉山快智導師が語ってくれた想像話に近い物が有りそうな気がしないでも無かった。 やがて、尾崎が和室に姿を見せ、 「三人には大分待たせた様ですが、そろそろ新井君と大西君の対局を始める事にしてはどうですかな」 尾崎のその言葉を待っていた様に金海英夫が、 「昨日も言いましたが、此の対局は新井英彦君がどれ程のハンディに耐えられるものかを、こちらとしては知りたい訳なので、普通のコミ出しとは異なり、白番逆コミ10目半と言う事にします」 と、ルールを説明して来た。 英彦の頭の中には、≪こんな滅茶くちゃのハンデを一体全体どう捌けば良いと言うのだ。仮にも眼の前の相手は、金海の所に居る真剣師だぞ。余りにもキツイのではないか≫と言う思いの他に、別の考えも尾崎邸へと歩いて来る道すがら考えていたのであった。 ≪僕の父が韓国の地に間違いなく居る事は、尾崎と金海への手紙で解かった事だから、旅費さえ自分で念出出来れば、尾崎等の言い為りに為らずとも、サッサと自分一人で父を捜しに行くわい。そうした事の方が、何やら怪しげな尾崎らの陰謀に引っかからずに済むかもしれないので、この対局の結果に拘らずとも良いのではないか? 否、逆に負けた方が、韓国へ行く事を、尾崎と金海に断れる理由に為るかもしれない≫ とも、考えていたのである。 ほどなくして先ほどの女中が、碁盤と碁笥を部屋に持ち込んで来た。 金海に促されて、英彦も大西も五寸五分の榧盤の前に座る羽目と為った。 金海の言う様に、白番は勿論英彦である。 尾崎邸の庭の池で、大きな鯉が水面から跳ね上がり、水音をたてた時、大西友也の黒石は4の十七へと打ち下された。 一瞬考えた後、英彦は17の四へと白石を静かに降ろした。 続いて、黒4の四の星が確定し、英彦は此方も16の十六と構えたのである。 大西友也は英彦の二手目を観て、直ぐ様15の四と高掛かりを打ち、これを英彦が13の四と一間バサミに挟んだ事から、いきなりの小競り合いが否応も無く始まったのである。 英彦としては、「僕はまだまだ囲碁の駆けだしなのだ。真剣師と言われる剛腕にかりに負けた処で、何も不名誉な事は無いはずだ」と、対局前に思っていたものの、イザ勝負が始まって見ると、父から受け継いでいる血のせいなのか、既にそんな生易しい考えは頭の隅に存在すらせず、眼の前の対局にのめり込み始めたのであった。 {注釈}此の対局の棋譜は、次回に総譜として掲載する予定です。棋譜の著作権は筆者に属します。 |
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【連続囲碁小説】 外来 第1章 裏打ち 16 ≪大西友也が言う処の、本当に目が見えない打ち手に依る【裏打ち】だけれど、僕の父に関しては、目を潰されたりしている事実は無いと思う。なぜならば、昨日尾崎さんが僕に見せた手紙の文字は、あれは確かに父の筆跡に間違いないものだった。父が普段書く下手くそな癖のある文字が、便せんに書きなぐって有ったから、とっさに父からの手紙だと確認できたのだ。もしも、父が何者かに依って目を潰されているとしたらば、父が手紙を掛けるはずが無いからだ≫ 父の事をそう判断した英彦は、大西に別の質問を始めた。 「大西さんは、何でまた金海さんの許で、真剣等を手掛けていたのですか?」 「真剣師へと身を落とした原因かい?」 「差し支えなければ、話して頂けると嬉しいんですが・・」 「もうずいぶん前の話に為るけれども、私も囲碁の棋士に為りたくて、棋士採用試験を受けた事が有るんだよ。しかし、その年は院生出身者が試験に見事通ったんだ。そしてその後も更に2回、外来から棋士採用試験を受けたけれども、都合三度の試験は悉く落ちたんだ。やはり院生たちの猛烈な生存競争の方が、私の生半可な技術よりも上回る何かが有ったんだろうね。」 「へーえっ・・・大西さんが外来受験をなさったなんて、知りませんでした」 「其の後の私は、町のあちらこちらの碁会所で、剛腕として次第に名を為して行った。僅かだけれど私をチャホヤしてくれる、いわゆるタニマチみたいな人も出来て、そうした人達が私に小遣いを呉れるものだから、遊び歩く事を覚えてしまい、銭に忙しい身へと落ちて行った。そんな時に知り合ったのが、今のボスである金海さんなのだ。この碁会所へ入り浸りになっていた事で、自然と真剣を打つ身に為ったんだね」 「そうなんですか、そんな過去がお有りだったとは知りもしなかったです。僕も今年あたりに、外来から棋士採用試験を受けようと考えているところなんです」 「これから二人で行く尾崎邸で、尾崎さんや金海さん達が、君に何を求めているのかは、私にはチョット解からないけれど、お互い対局には全力を出し切れると良いなと思っていますョ。最近はボスの下で素人相手のショボイ真剣を打って居たけれど、久しぶりに力を注がねばならない良い碁が打てそうな気がして来たョ」 「僕は父から囲碁の技を習い、其の後其れなりに勉強も重ねて来たつもりですが、大西さんの様な厳しい囲碁の世界で生き抜いて来られた方からみれば、まだまだヒヨコかもしれませんが、力を出し切れるように、今日は打つつもりです」 英彦は大西友也の事を、昨日はかなり見くびっていた自分に、恥ずかしい事だったと、内心で反省をしたので有った。 「よーし、大体の話は君に伝えたから、これから尾崎邸へと行こう。・・・あっ、そうだ! 言い忘れたけれど、ここで私が話した事は、君は聞かなかった事にしておいてほしいのだが、承知してくれるかね?」 「勿論です。大西さんのご好意で話して頂けた事なんですから・・・」 英彦と大西友也は、チョットの時間差を設けて、それぞれが尾崎邸へと向かって行った。 |
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【連続囲碁小説】 外来 第1章 裏打ち 15 早稲田の尾崎邸へ向かう為に、英彦が石神井公園駅から電車に乗り込んで5分も経たないうちに、持っている携帯へ知らせが入って来た。 公衆電話からである。車内で有る為に一度練馬駅のホームへと降りて返事をした処、掛けてきた相手は何と、大西友也であった。 「何で僕の携帯番号を御存じなんですか?」 「あぁ、金海さんから昨日番号は聞いてましたので・・。それよりも、尾崎さんの所でお互いが顔を合わす前に、チョットだけ君に話しておきたい事が有るので、電話をした訳なんですが、会えませんかね?」 「どの様な事ですか?」 「尾崎さんも、金海さんも話したがらない、君の御父さんの事について、チョット私が知っている事だけを知らせておいてあげた方が、何かと役に立つと思っての事です」 「今日の対局に影響を与えない事で有ればかまいませんが・・為らば、尾崎邸に顔を出す前にどこかで落ち合いますか?」 「早稲田大学構内に入って行った中のベンチで話すのは、如何なものですかね?」 「僕としては、どこでもかまわないですから、そちらに顔を出す事にします。どうせ尾崎邸へ行く道筋に近い訳だし・・・」 その様な遣り取りが電話で有って後、英彦は早稲田大学のキャンパスへと向かった。 東京都の福祉資金の援助で、今は地元の公立高校へと通わせてもらってはいるのだが、あの石神井学園も18歳を過ぎれば、否でも施設に居る事は出来なくなる。吉田泰子が自立して行ったように、いずれは自分もあそこを卒園していくのだから、この大学キャンパスを自由に行き来している裕福な学生さん達の様な生活は、将来僕には到底望めないのだ。 何としても、一人前の棋士に為って自立の道を開かねばならないと言う思いが、キャンパスのベンチにたむろしている学生達を見ている英彦の胸の中を走り抜けて行った。 「おーぃ、ここです・・・」と、大西友也が向こうで手を振っているのが見て取れた。 英彦がベンチに近づき挨拶をすると、意外にも大西は明るい笑顔で英彦を心優しく迎えてくれた。 昨日早稲田の喫茶店で、金海から初めて紹介された時の大西の暗い印象よりも、英彦は好意の眼で今は大西を観る事が出来た。 「処でどんなお話しなんですか?」 「尾崎さんは君に御父さんからの手紙を一通見せたよネ。でも、あれ以外に何通か君の御父さんは尾崎さんの許へも、金海さんの許へも手紙を書いて寄こしているらしい。此の事は金海さんが私に以前チラリと話した事が有るので、間違いない事だと思う。」 「父は何でまた韓国などへ行かなければならなかったのですか? 其の事について大西さんは、ご存知ないのですか?」 「其の事については、私もハッキリと断言はできない事なんですが、この早稲田の地を縄張りとして居る、住吉会・幸平一家の早稲田総業という事務所と、尾崎さんの間で何かトラブルが有ったらしいんだよ。其の事が金海さんの所へと降りて来て、君の御父さんは韓国へ掛け碁、いわゆる真剣を打ちに行かざるを得なかったらしい」 「僕の父は、ヤクザがらみで韓国へ賭け碁を打ちに行ったとしても、其れが終われば日本へとサッサと戻れるのではないのですか?」 「韓国では、日本で言う処の【真剣】の事を、【裏打ち】と言っているらしい。韓国表現では何と言う言い方をするのか日本人の私にはわかりませんがね。要するに賭け碁である事に変わりない。其の事で出掛けた君の御父さんは、何かの事で洋一さんの実父と偶然再会できたと、手紙で知らせて来たらしい」 「えっ!僕の父が、実父・・・つまり僕にとってはお爺さんに当たる人と、再会できたと言う事なんですか?」 「その様に知らせて来た事を、金海さんは以前話していたからね」 「ふーぅん。僕の父は確か今年48歳に為るから、其のまた父と言えば、70歳位から75歳位かもしれないですね。父は僕に在日の血が流れている事なぞ、全然話した事も有りませんでしたから、勿論父の実父の事なぞ今まで聞いた事が有りませんでした。教えて頂き感謝します。」 「処で・・・君は【眼くら碁】と言われる碁の打ち方を知っているかね?」 「えっ!眼くら碁ですか? 詳しい事については知りませんが、技量のあるプロが目隠しをしたまま囲碁を打つ事が出来るとか出来ないとか・・そんな話を聴いた事は有りますが」 「韓国の闇社会の人間が絡んだ【裏打ち】の世界では、単なる【裏打ち】だけと言う技程度では、人気も出ないし大金も動かないんだよ。本当に眼が見えない碁打ちが繰り広げる【眼くら碁】には、とても大きなお金が動くんだぜ」 「まさか僕の父はそんな【眼くら碁】で勝負を繰り返している事実はないのでしょうね? 第一、父は眼が見える訳なんですから・・・眼くら碁をする事は不可能なはずです」 「人間の欲望と言う奴は底が無いこと位君は知っているはずだ。昔のローマ帝国では剣闘士がライオンと戦って市民の娯楽を満たしていたし・・・現在の社会で言えば、アングラ・ファイターが大金を掛けてラスベガス等の闇の市場で日々戦っている事実も良く聞く事実だ。だから、日本よりも深い闇社会が有る韓国なんかでは、眼くら碁を打たすために実力のある棋士が、韓国マフィアに眼を潰されたと言う悲惨な話も聞いた」 英彦は大西友也の口から、思いもしなかった話が飛び出して来たので、頭の中が真っ白に為ってしまうと同時に、父への不安が限りなく広がって行った。 |
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【連続囲碁小説】 外来 第1章 裏打ち 14 次の日の朝早く、三宝寺の山門を潜り、鐘突き場の前で寺男の善さんに英彦は、杉山快智導師への取り次ぎを頼んだ。 昨日尾崎定次郎が語り聞かせてくれた、諸々の話を快智導師に相談し、教えを乞うと言うのが本日の本題である。 尾崎から聞いた話については、普段英彦が姉の様に慕っている吉田泰子にも、昨晩の内に電話で簡単な説明はしておいた。 吉田泰子に話しを通す前、英彦の体の中に在日三世の血が流れているのだと言う事を話したら、彼女がどんな反応を示すのだろうかと言う、一抹の不安は有ったのだが、意外にも・・・ 「私は、英彦君が例えどんな血筋に繋がっている人間であっても、其の事で何等英彦君との付き合い方を変えると言う結果を導き出す様な女じゃ無いわよ」 と、言ってくれたのが、とても嬉しかったし、彼女の言葉を聴いて、自身の出自の事について、余り拘りを持つべきではないと、晴々とした気持ちに為れたのである。 何時も通り、快智導師に依る早朝指導碁を一局終えた後で英彦は 「実は・・・」 と、本題について話を切りだした。 「ふ~む。そう言う事か・・・」 快智導師は英彦から一通りの話の筋を聴き終わると、 「壇さんの紹介で、わしが初めて君と会った時に、君がわしに答えた言葉を覚えているかね?」 「ハイ、僕は将来立派な囲碁棋士に為りたいと思っています。と答えた筈です」 「そうじゃったな。わしは君と一局打ち終えた後で、此の子は努力さえ怠らなければ、夢を掴めるだろうと確信し、これからは毎朝ここへ打ちに来なさいと答えた訳だね」 「ハイ、とても感謝しています」 「そこでじゃ・・・先ほどの話を聴いてわしが思う事の結論を、話して聞かせよう」 「ハイ、お願い致します」 「人生と言うものは、その目的とする地にたどり着く為の道筋は、常に幾つもの方法が有る。険しい道、遠い道、あるいは楽だと思って間違って仕舞う道・・・等などだ。目的を其れなりに達成出来るのであれば、それはそれで他人がとやかく言う事も有るまい。しかし、君は【立派な棋士に為りたい】と言ったのであるから、その為には全ての邪念を振り払って【王道】を歩まねばならない。ここまでわしが言う事が理解できるよネ」 「ハイ、日頃先生から指導して頂いております棋風からも、其の事は僕の頭の中に留めているつもりで、石を打ち下して居ます」 「よろしい。良いかね、これからわしが言う事を絶対守って尾崎某とやらの家へ行く事にしなさい。」 「どんな事を守れば良いのでしようか?」 「金海某と言う男は、真剣という名の賭け碁を、生業として居た男だ。多分尾崎某と言う男も、表の顔はともかくとして、裏では金海某以上に金銭にまみれている男ではないかと想像が出来る。今は英彦君の父親を餌にどんな仕掛けを練っているやもしれぬ。其の事は口に出さずに自分の眼と頭で、罠を見抜く事が大切じゃ。」 「ハイ」 「囲碁棋士の資格としては、絶対に賭け碁に染まっては為らないと言う規定が有る。英彦君は学園生と言う事も有り、東京都の予算をつかって、院生生活を送る様な贅沢はは認められないのじゃから、費用の要らない【外来試験】を通過して、棋士採用試験に挑むしか、棋士への道筋は無い訳なのだ。良いか、絶対に怪しげな賭け碁なんぞに巻き込まれては為らないぞ! 棋士への道は堂々とした王道を歩いて行く事だけを心して、早稲田迄出掛けてみる事だ」 英彦は、杉山快智導師の言葉を深く胸に刻みつけ、三宝寺の山門を潜って行った。 英彦の出て行く後ろ姿を、鐘楼脇で見ていた、寺男の善さんで有るが、まさか此の人が、後日英彦を助ける大きな力を持つ人物だとは、まさかこの時点では誰一人として知る術も無かったのである。 |
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【連続囲碁小説】 外来 第1章 裏打ち 13 尾崎は英彦に、更に一枚の写真を見せた。薄暗い上に余り小奇麗とは言いかねる、韓国の部屋がそこには写っていた。 「これは君の御父さんが多分日々の暮らしを送っている部屋と思われる写真だ」 「えっ! 僕の父がこんな処で暮らしていると言うのですか?」 「多分ね!」 「何でまた、こんな事に為ってんですか? 僕の父は東京へお金を稼ぎに行くと言って、南三陸町を出た訳で、一時はここに居る金海さんの碁会所にも出這入りしてたはずですが・・一体どう言う事に為っているのか、その訳を教えて頂けませんか?」 尾崎は懐から出したタバコを一本口にくわえて、おもむろに紫煙をくゆらせた後で、 「まぁ、話せば長く為る事なんだけれど・・君には大体の所だけ話しておこう」 「父の事については、どんな事でもかまいませんから、僕に聞かせて下さい」 「君は【パンチョッパリ】と言う言葉を聴いた事が有るかね?」 「えっ? 何ですか、其のパン・・何とかと言う言葉は?」 16歳の英彦は、パンチョッパリと言う言葉自体を、まるで知らなかった。 「パンチョッパリと言う言葉は、差別用語だ。朝鮮半島に暮らす人々が、日本の在留権を持つ在日の同胞達に向かい、『お前達は、戦争にも行かず、兵役の義務も負わずヌクヌクと日本で暮らし、或る時は半島人、或る時は帰化した日本人だなどと、二つの顔を使い分けて暮らす、人非人なんだよ。何時までも日本で暮らしていたらば、いつかは豚の様に二股の足に為り、日本人の足袋を履き、下駄を履く暮らしがピッタリと様になるだろうよ!』・・と、軽蔑して言う言葉なんだよ。・・・君は始めて聞く言葉かい?」 「はい、始めて聞く言葉です。しかし、何でまた同じ血筋の人間同士が、相手を悪く言わなければならないのでしようか。お互い仲良く為れないものなんですか?」 英彦は、今まで自分の体の中に半島人の血筋が流れている等とは、一度たりとも思い到らなかったので、その辺の事情にはトンと疎かった。 「君が半島人の気質をまるで知らなかったのと同様に、君の御父さんも、坡州市金村洞に居る親族が、在日二世達にどんな怨嗟の気持ちを抱いていたのかを、気が付かない儘、或る人間を探しに韓国へと渡ってしまったのだよ。其の事には、ここに居る金海英夫君等も一枚噛んでいるので、色々と厄介な事に為ってしまったと言う訳なんだ。」 「話が複雑すぎて、何が何だかわかりません。まるで糸が絡まってしまった様な感じです」 「そうだな。今全ての事をここで話すわけにもいかないので、おおよその事を話してみたのだがね。 英彦は、絡まってしまった話の糸口を別な切り口から解きほぐしてみようと、 「金海さんは、今日ここで碁を打ってみた結果で、父の事が解かるとも言ってましたが、其の事はどうなってるのですか?」 尾崎定次朗は、 「おう、そうだ! そちらから話を進める事の方が楽ではあるな。 君は子供だとばかり思っていたけれど、中々筋を読み間違えない人間の様だわい。」 と、自身の膝を叩き、話の舵を切る事にした。 「ここに居る大西友也は、金海英夫の碁会所で(真剣師)も兼ねていた、名うての碁打ちだ。君の腕がどれ程のものかを計るには丁度良い相手だと金海は言っていた。そんな大西に君が逆ハンデを付けて白持ちで、楽に勝てると言うならば、おそらく韓国の虎の穴に君を放り込んでみても、君が死ぬ事は有るまい。そうする事で、多分君の御父さんも無事救い出せると思う。私もここに居る金海英夫も、或る事で是非とも君に海の向こうで、必死に戦ってもらいたい理由が有るからこそ、こうしてここに来てもらったと言う訳なんだ」 英彦は、彼らの余りにも度を越した、勝手な話に少し腹が立った。 「チョット待って下さい。父の事が絡んで居れば、僕が何とでも為ると思ってらして居る様ですが、高校生の僕辺りが此の話を背負うには、少しばかり荷が重すぎやしませんか?」 「と言う事は、此の話は飲めないと言う事なのかね?」 「飲むとか、飲まないと言う話しの結論を、貴方がたはここで出せと言いますが、其の前にもう少し考える時間を僕に下さい。一日の猶予が有れば、僕は全体の事を落ち着いて解きほどいてみせます。・・・つまり、ここに居る大西友也さんとの対局は、明日でもかまわないでしようか?」 「ヨシ! 判った。 明日この部屋で、君の白番逆コミ出し9目半と言う条件で、一番戦って見せてほしい。それで良いかね?」 「わかりました。」 |
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【連続囲碁小説】 外来 第1章 裏打ち 12 床の間を背にして分厚い座布団に座った尾崎定次郎は、 「此の子が新井洋一の息子なのかね?」と、金海英夫に質問をした。 「ハイそうです」 「では、ここへ来た意味を、此の子は知っている訳だよね」 「英彦君には、おおよその話を既に聞かせて居りまして、英彦君も父親の手掛かりを教えてくれるのであれば・・・と、納得済みです」 「よろしい。では、英彦君とやらに私が続きの話をしてみようじゃないか」 尾崎が懐の懐紙に挟んでいた一枚の写真を英彦の前に示した。 「これは韓国の京畿道坡洲市金村洞に有る某市場での写真なんだがね」 某市場という言い方を尾崎がしたので、英彦は単刀直入に 「某市場と言うのは、金村在来市場の事でしようか?」 と、オオム返しに質問をして見せた。 「ほぅ、金村在来市場だと言う事を何で見抜いたんだね?」 「色々と父の事を調べているうちに、その市場付近で父らしき人物を見かけたと言う人から話を聴いた事が有りますので、市場繋がりならば多分金村在来市場ではないかと、とっさに僕の頭の中に浮かびましたから・・・」 英彦の推理はドンピシャリと的中していたのであった。 「君はまだ子供だから、韓国の食文化などについて知らないだろう。金村在来市場と言うのは、大きなアーケイドに覆われた有名な市場だ。その市場のはずれで韓国へ来る観光客の眼にとまらぬように、今でも犬を食べる人を相手に商売が成立しているんだよ。これは今でも盛んに狗肉の習慣が韓国内に残っていると言う証拠の写真なんだ」 「僕にとって、韓国人が犬を食べようが、ハトを食べようがどうでもいい事です。ただ、知りたいのは父の行方だけなんですよ、此の写真が父とどんな関わりを持つのか理解できません」 尾崎はチラリと金海の方を見やった後で、 「そうか、君は君自身の出自の事など全然知らないと言う事なのかね?」 意外な事を尾崎が言ったので、英彦は尾崎の言う意味を理解しかねていると、横から金海が其の事で口を開いた。 「私の事は英彦君に前にも説明した通りなんだが・・・実は君の御父さん自身も、在日二世だと言う事を聴いた事は無かったのかい?」 「えっ! 父が在日二世なんですか? 聞いた事は全然ありません。金海さんは嘘を言っているんじゃないですか?」 英彦にとって、父が在日二世であると言うことは、初めて聞く事だし、それはいささかショックな出来事でも有ったので、頭の中が途端に真っ白に為ってしまった。 金海は続いて在日の事について英彦に説明を始めた。 「朝鮮半島は一時期日本の植民地として日本政府の統治下に有った事は、君も学校で習ったはずだ。其の当時の朝鮮民族は名前を日本化するように強制されて居たんだ。つまり、日本人たちに依る朝鮮文化の破壊だよ。戦時中は労働者の確保と言う事で、朝鮮半島から多くのコリア系民族が日本へ強制移住を命じられ、日本に定住したものだ。しかし、日本が戦争に負け、コリア系住民は昭和27年に日本国籍を失って、正式に外国籍へと為った。そして、この年から日本国内に住みついていたコリア系の人達の日本への帰化申請も始まったんだよ。君の御父さんの更にそのまたお父さん、つまり君のおじいさんに当たる人の、日本への帰化申し出が有ったのもこの昭和27年だったんだ。君のおじいさんは自身の体調の事で韓国の金村洞へと息子を日本へ残したまま帰って行ったんだ。其の後君の御父さんの洋一さんと、日本人のお母さんが南三陸町で所帯を持ち、君が生まれたと言う訳なんだ。」 英彦にとっては始めて聞く話で有った。 金海英夫も在日二世であり、顔つきはほとんど日本人と変わらない。 彼ら在日の人達が、多くの日本名を名乗っている中で、此の人だけは在日の家系とは違うなと確信している見分け方が有ると言うのも、始めて金海から教えて貰った。 其れは、古来から日本人家系に使われている旧字体の使用を日本へ帰化申請したコリア系住民に、戸籍名として使う事を政府が認めなかった事実である≪例えば、沢⇒澤、浜⇒濱、辺⇒邊、斉⇒斎と言う風な使い方は認めない≫長島という苗字を戸籍で使用している時は解からないが、長嶋という使い方の場合は間違いなく日本人だと、彼ら在日の人達は判断していると言う。 『新井』と言う苗字をサラリーマン金融データベースで検索すると、在日確率は28%以上と出て来るらしい。『金田』『金城』等もデータベースによって在日率がとても高いと検索できるし、日本の大手企業の人事部でも色々な手法を用いて戸籍調査をして居るんだと言うし、公務員や警察官の採用には在日と言う壁は凄く高いんだと金海は英彦に説明をした。 尾崎定次郎が 「この写真の中に、お父さんの親族が一人写り込んでいる事を、君の父親が私に手紙で書いて寄こしたと言う訳なんだ。」 尾崎の言葉から、次にどんな話が飛び出してくるのかは、英彦にとってまるで想像もつかない事で有った。 僕の父は、尾崎や金海とどんな関係にあったのか? 坡州市金村洞に居る親族と父との関係は何なのか? 英彦は、今まさに迷宮の入口に立たされている様な感じを覚えていた。 |
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