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囲碁創作の世界2 2018年05月23日
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現在comet505氏が、囲碁創作の世界で《パンダ村のコラム》を綴っておられます。
此のたび、honestyboy氏が、comet505氏とは別に《白黒決着のコラム》と言うタイトルで、囲碁のマナー周辺についてのあれこれを綴ってくださると言う事なので、comet505氏のコラムと混じり合う事の無いように、囲碁創作の世界2として新しく板を立てました。これはhonestyboy氏専用の板として、今後も続けて行きますので、パンダ会員の方がたは楽しんで頂ければと幸いと思う次第です。明日より連載開始となります。

なお、パンダ会員の方の中で、自分も何か綴ってみようかと思われておられる方は、専用の板をmijinkoが立てますので、気楽にメール等で申し込んでください。
多くの会員の方がたのご協力で、楽しい【パンダ囲碁図書館】を作って行きましょう。ご協力お願いいたします。
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No.7 2018年01月10日 
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《白黒決着のコラム⑦》性格改造

このコラム⑤を私が書いたところ、PANDA囲碁図書館を始めたmijinko氏から「性格変えろと書かれてますが、それがなかなか難しいから人間悩んでいるのではないでしょうか?この辺の処について、もう少し教えてください」的な質問が、私の許へ届きましたので『成程・・』と思いなおし、再度このコラムに書き足す事と為りました。

人間って、何かにつけ悩んでいるんだよね(笑)
【人間は考える葦である・・・パスカル】って言うしね(笑)

性格改造ですが・・・簡単に言うと、朝はキチンと決まった時間に起き出し、イの一番に顔を洗い歯を磨く事です。こんな簡単な事が何故か出来ない人が意外と多いんです。
他人と話を交わして居て、なんとなく相手の口臭で嫌な気持ちに襲われた事有りませんか?
我々日本人は相手に対して大人の対応をしますから、相手が嫌な口臭を漂わせていても、表だって嫌な顔したり口撃したりは差し控えています。だから相手は何も感じないのかもしれませんが、こうした人間は、絶対生活パターンが崩れていますね。何かにつけてダラシナクしていても相手が表だって注意してくれないから、自分のだらしなさに何時まで経っても気が付かない。
そんな鈍感に何を言っても大抵は無駄に終わります。でも・・・でも・・・こんな人であっても『今年こそは少しでも囲碁強く為りたいものだ』等と、己を知らない恥ずかしさだと言う事を理解もせずに、人前で平気でほざくのです。
でも、そんな夢の計画は三日もせずに崩れ去ります。当然の事です。己の性格がもともと基本も根張りも無い訳ですから・・・。

だから、朝は顔を洗い、歯を磨く・・そして夜はなるべく早く寝る事を心掛ける。これらは全て先人たちの教えです。
つまり昔の人は簡単だけれど、人間の根本を鋭く見抜いていた事が解ります。

私の言う事が「まるで子供に物を教える様だ」と思う人は、添付した写真の本をチャンスが有れば読んでみる事をお勧めします。
囲碁の参考書を何冊も読むよりも、囲碁が強く為る為の「人間の基本作り」に最適の本だと思います。
No.6 2018年01月09日 
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《白黒決着のコラム⑥》陰謀?

井山祐太七冠が国民栄誉賞を、将棋界の羽生善治永世名誉七冠と共に受賞された事は、大きなニュースと為って流されましたね。

この井山祐太氏が、再度七冠に復帰する直前に氏の肩書の表示がどういうものであったのか?

高尾紳路名人と対局する際の、井山祐太氏の肩書です。

井山祐太九段VS高尾紳路名人 なのか?
井山祐太六冠VS高尾紳路名人 なのか?

それとも、井山祐太六冠は元・名人だったから・・

井山祐太元名人VS高尾紳路名人 と言うのが正しいのか?

日本棋院の職員に問いただしてみました処、
「複数のタイトルを保持している方は、複数タイトルの中で最高ランクのタイトル名を肩書として表示するのが普通です」との答えが返ってきました。
と言う事で、名人戦挑戦中の井山祐太六冠の挑戦者としての肩書表示は、井山祐太棋聖と表示するのが正しい事に為ります。

井山祐太棋聖VS高尾紳路名人

これが正解ですね。

処が・・ここに読売新聞の深読みとも言うべき【陰謀】らしきものが存在している事に、私は気が付きました。伊達に囲碁界の最高賞金額を出している訳じゃ無かったのですね。

当時、井山祐太六冠は本因坊でも有り、十段位でも有ったのに、それらは紙面で表示される事無く、タイトルの中で一番高額賞金を出している棋聖位だけが他を押しのけて表示される訳ですから、まんまと毎日新聞社も赤旗新聞社も無視する事に読売新聞社は成功しているんですよね(笑)
他の新聞社も高い賞金を支払いながら、その宣伝効果が一枚も二枚も落ちると言うのは、なんだか囲碁で言う処のハメ手に掛かったようなもの。
No.5 2018年01月07日 
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《白黒決着のコラム⑤》勉強法

年が明けてあちらこちらの碁会所や地元の集会所で新年度の囲碁大会が開かれている事と思います。

そのような場で聴かれる言葉は、「今年こそは一枚上の段位へと上がる事が目標です」等の決意らしき言葉です。

『今年こそは』 ???

ご本人は知らず知らずに口に出したのだと思いますが、その『今年こそは』が、其の人の深層心理を見事に言い表していますね。つまり、『今までは』という言葉と対を成している表現です。

まぁ、私の勝手な推測ですが・・・
此の様な人に限って、新年を迎えるに当たり、囲碁勉強の為に参考書を買い込んだり、新年からの囲碁対局ノート等を細かく作成している様に思います。

先日の新年打ち始めの場でで有った人ですが・・

「何でそんなところ長々と考え込んでるの?嫌がらせ?」
「こんなところでも、なにか良い手が有る筈。ジックリと考える習慣を今年は付けねば・・」
「だって、そこアタリですよ。10も有る大石取られちゃったら、それこそオワでしよう?」
「でも何か・・・」
「継がねば取るぞ!」
「もう少し考えてみる・・」
「こんな場面、井山祐太だって継ぐぜ。馬ッ鹿じやない!」
「馬鹿とはなんだ!」
「大体がさ~ぁ、去年も参考書買いこんできて、その影響かなんだか知らないけれど、解りきった場面を長々と考え込んだじゃない? 今年もまたおんなじことか?」
「最低1分は考えなおせ。と言うだろう?」
「ヘボの考え・・なんとかと言うぜ」

新年だと言うのにいきなりいがみ合いに発展。

今年こそは・・・と言う意気込み解るんですが、新年が始まってみれば、一週間も経ずに元の黙阿弥に至ってしまう人は、多いようです。
買って来た参考書は積読の儘となり本棚で埃をかぶってますし、対局を検討し直す研究ノートも空白化に為ってしまう。
気持ちでは勉強をしようしようと思うのですが、何かの壁にぶつかって、それをうまく乗り越えられないと、適当な理由を付けて挫折への道が再び始まってしまう、と言ったパターンです。

そんなような人にとって、何か良い勉強方法が無い物でしょうか?

★簡単で続けられる詰め碁等が良い
★囲碁テレビ解説とかビデオなど気楽に見る

他人は色々と解決方法を親切に教えてくれているようですが・・

★印の様な勉強方法を実践できる人は、何~んの心配も有りません。

問題は、毎年毎年おんなじパターンで挫折してしまう人です。
こんな人に共通して言える事は、【楽】の一字。

もともと性格が細くて甘チャンなのだから、そんな性格を根本から直さなければ、囲碁が強くなれるはずが有りません。
参考書を買いこめば買い込む程囲碁の迷路に入ってしまいます。果ては嫌に為る事さえある。

【何とかに付ける薬は無い】 と言う事か?

人生の答えが中々見つからないのと同じで、囲碁の勉強も深遠なのです。
囲碁の勉強方法は一つだけじゃ有りません。
・・・だから、パンダの学習教室も毎月毎月色々と、皆さんの為に講師をお呼びしてやってんですから(笑)

では・・・強く成れた人達はどんな勉強をしたのでしようか?
先人達が教えるコースをコツコツと歩ける人は、何~んの苦労も無い訳ですから、問題は性格が細くて、考え方が甘い人です。

先にも書いた通り、ご自身の性格を見つめ直して自分の大本を正しく観察できるように、生活そのものを改造することじゃないでしょうか?

そうすれば・・・何時の日か天から悟りのチャンスが下りてきます。

大抵『アッ・・・これか!』と、思える瞬間が一度や二度巡って来るものです。そうした『何か』を掴んだ時こそ、囲碁が強くなれるチャンスです。

コペル二クス的展開が、今年こそ訪れます事祈念いたします。
No.4 2018年01月03日 
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《白黒決着のコラム④》思考時間

囲碁は持ち時間制という公平なルールによって成り立っている。
江戸時代の家元制における打ち碁を見てみると、打ち掛けなどという今では信じられないルールなんかを設定していたんだから、権力を持つ者の言う事は余り信じてはいけない。口先で言っている事と、実行している事のギャップが凄い事も儘あるからだ。さしあたり、今の安倍内閣の政策をチャンと再検討し直してみると、いかにもキャッチフレーズばかりが耳触りの良い事に気がつくはずだ。
横道にずれた話を元に戻すと・・・

決められた持ち時間の中で、出来る限り時間の活用を図り、ギリギリまで考えて最良の手を打てと
教える日本のインストラクターは多い。
そして、その言葉をアマチュアの多くは信じている。
パンダ対局を横で観戦していると、確かに多くの人がギリギリまで考えている事が多い。

日本の棋士が世界の囲碁界で覇権を失って久しい訳だけれど、なんでそうなってしまったのか?

韓国も中国も打ち進めるスピードが意外に早い事に気が付くのだけれど、彼らは何故時間を余してでも早く打つのだろうか?

ハッキリ言えば、打つ手にそれだけ決断の裏付けが有るからだ。
言いかえれば、それだけ普段の研究がなされていると言う事なのだ。
AI等打ち返してくる正解の手は、わずか何秒だぜ(笑)

我々も今以上に勉強を積み重ね、正しい手をAIのように弾きださねばならない。

韓国の少年・少女を鍛える囲碁教室では、課題として出す詰め碁全てを、僅かな時間内で正解させるスピード制を科している事実を見習わねば為るまい。

今日本の時間制ルールでは、消費した時間が切れると後は30秒とか1分以内に打てば良いというルールを採用しているが、これなども消費後は10秒以内と今以上に厳しくすると、普段から囲碁に対する勉強をもっとする事に為り、実力も付いてくるはずなのだ。

アマチュアの大会などでは、対局時間の【切れ落ち制】を採用している事も多い。まぁ、大会全体の時間消費を考えての事らしいが、【切れ落ち制】は、より厳しいという面では、鍛えられる事ではある。
アマチュアで出来る事を、プロも取り入れるぐらいの決断は時として必要かと思う。
No.3 2017年12月23日 
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《白黒決着のコラム③》 待った! 放り込め!

地方で爺さん達が碁を打っていますと・・・問題点が色々と観て取れます。
それは、時として笑いで有ったり、怒りで有ったりと様々です。

都会のスマートな囲碁愛好家たちならば考えられない様な打ち方を、地方の碁会所では平気で打たれているのを散見します。
それは「地方の碁だよ」と言うよりも「痴呆の碁」に近いんじゃないかと、我が口をアングリさせられた事が有りました。

説明上チョットばかり私が都合の良い図を此処に再現してみましたが、たまたま地方の碁会所で見かけた19路盤での棋譜もこの作図に意味が近いものでした。

「おいおい・・此処は待ってくれ!」
「囲碁に待ったは通用しないから、絶対待たない」という相手の拒否に対して、
「でも、此処の侵略を普通に受けていたんじゃ、三段の腕が泣くと言うもんだ。この場面は一旦放り込んで、効率よく黒が寄せて見せるのが正しい手だから・・・」
黒持ちの爺さんは、寄せの正しい打ち方を説明して、なんとか待ったを相手から取り付け、細かい碁を勝ちへと持ち込もうと考えているのでした。普通に受けるのと、放り込んでから受けるのとでは2目は違うと言うのが、上辺進行の正しい打ち方だと言うのが、黒持ち爺さんのその言い分です。

こんな棋理の説明をして、待ったを取り付けるのが、許されるものなのか??
地方の碁は何とでも言い訳の立つ人間が、これでは有利に展開できる事に事に為ってしまいます。

この二人の言い合いの場に、「まぁ、一理ある」とか無いとか言う他の見物人が、二人の横に立ちこれまた其の碁の行方に口を出してきました。

しかし、・・・

「こんな上辺の処は、待ったとか待たないとか言い争う場面じゃ無いでしよう。この上辺の放り込みの手筋を偉そうに絶対の手だと言うならば、此処よりももっと大きな放り込みの場所に気がつかねば、とても三段だ等と大きな顔して言えないぞ」

と言う人が、横の見物人の更に後ろに立って爺さん達の言い合いを聴いて居たのです。

参考図下辺の隅の処に、いきなりの放り込みの絶対手が有ると言うのが、其の人の言い分です。
一見、無理手?と思われる隅いきなりの放り込みを打たれてみると、素人ならば刧で受けてしまうような場面ですが、囲碁の棋理を理解している有段者ならば、白さんは放り込みを平然と受けずに元継ぎして、泣く泣く我慢しなければならないほど大きな放り込みだと言う事が解ります。

ヤッパリ小さい処をこねくり廻すのが、爺さん達の碁なんですかねーぇ(笑)

白黒ハッキリさせた、最後の見物人に拍手です。

しかし、本当は誰も口を横から出せないのが、碁のマナーと言うものですぜ!!!

碁盤の足は、クチ梨の花の実を形どってんですから、その意味する処よーく考えてみてください。
No.2 2017年12月16日 
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《白黒決着のコラム②》 手談

囲碁の別名の一つに「手談」という表現が有ります。
これは二人の対局者が石を打ち進めて行くことで、「此の先へは打っても無駄ですよ」とか「こちらの方が大きく有利な打ち場なんじやない?」等など・・自分の口から声に出して話す事をせずとも、それとおんなじ効果で石運びをしている様な感じがするところから、囲碁の別名の一つに「手談」という表現が生まれたのだそうです。
ネット碁などで対局をしていると、確かに「ははーん、今相手はこう考えて居るんだな?」等と感じる事がしばしばありますから、「手談」と言う表現はピッタリだと思います。

ネット碁では相手に対して、いちいち此の手は良いとか悪いとかチャットで交信をしませんが、リアルな対局、碁会所等で石を戦わせていると・・・
「えっ、そな手打つの?」とか「いやーぁ、まいったまいった」等と口に出す場面がしばしば見られます。対戦中の微笑ましい会話は別段問題も発生しませんが、そんな範囲を超えて相手の打つ手を貶してみたり、自分の打った手に「待つた」の強要を言いだしたりすると、それらが原因となりその場の雰囲気が悪く為る事も有ります。

昔の人は『碁は礼に始まり、礼に終わる』と教えて居ます。
パンダネットの対局だけでなく、幽玄の間等他のネット碁でも、対局開始と終局に当たっては「お願いします」「ありがとうございました」等の定まったフレーズがクリックひとつで実行できるようにセットされていますので、お互いマナーを是非とも守ってください。

マナーで言うと、囲碁の高段者の中には極端に段差の離れた下位の人とは石を打ち交わしたくないと発言する人が散見される事が有ります。
その理由は色々とあり、自分の手が甘くなるとか、相手から教わる部分が無い、あるいは相手の余りのヘボさに腹が立つ・・等など。
高段者でも碁の真髄を理解出来るような域に達している人は、例えどんな相手でも心の迷い無く打ち回せるものです。早くこう言う域に達したいと囲碁の勉強に精出すことも一つの修行。

私が以前経験したことで言いますと・・・

「いやーぁ、お宅さん強いですね。凄いもんだ!」
「そろそろ投了するのかな―ぁ?」
「ヘボだねーぇ、そんな手打っちゃって、アハハハ」等など、相手の心を掻き回す様な発言を連発する人に出会った事が有ります。俺は強いんだぞ!と言う心の奢りが見え見えでも有りますが、こうした発言は己自身の心の貧しさを自身では知らずに表現している訳で、恥ずかしい限りで、マナーをとやかく言う以前の問題だと思います。囲碁を嗜むことで自分の教養を高めるという本筋を打ち間違えた発言だと言えそうです。
パンダネットでは、対局マナー違反として事務局に申し出れば、チャットを調べ直してくれ、マナー違反が発覚すれば減点等何らかの処置講じてくれる仕組みが有りますので、申し出をすると共に、こうした不快感を与える相手とは以後打たない様に≪断り≫指定をしておくことが良いと思います。
自分がされて嫌な事は、相手にも絶対しないという基本的マナーは心の中に常に言い聞かせておきたいものです。・・・と言うのは、対局に勝つとついつい言わなくても良い発言が、自分の気持ちの壁を勝手にこえて、ついつい口に出る事も良くある事ですから。
まぁ、それほど相手に勝てると嬉しいものだと思うのが囲碁の魅力の一つですから(笑)

小さなお子さんに囲碁指導等を為されておられる指導員の方が居られましたらば、是非ともお子様たちに「手談」と言う言葉の意味する処を教えてあげてほしいものと思います。

今から2年ほど前の事ですが・・・某地方で「手談」という看板の出ている碁会所を発見したので、一局打ちに入った事が有ります。
いやーぁ、そこの席亭さん好くしゃべる事しゃべる事。時々「其処はこう打つものだよ、解りますか?」等と越権行為連発してました。看板の意味する処に偽り有り?と思える様な店でした(笑)
No.1 2017年12月15日 
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《白黒決着のコラム①》握りのマナー

対面対局において、人によっては囲碁に対する価値観が異なる事も有り、マナー違反はどこまでがマナー違反に該当するのかどうか、解りづらい事が有るように思えます。

私は地方の小さなコミュニティーで普段対局をしています。

或る時、一人の若者と対局する事と為り、二人は席に着きました。囲碁の棋力自体は同じです。

席に着いた途端、その青年は何も言わずにサッサと黒石の碁笥を手元に引き寄せたのです。

?????

対局に当たってどちらも棋力が同等と言う場合、目上の人が白石を握るか、または上座に座った人が白石を握る物と言う暗黙のルールが存在するものです。
その青年は「白黒別に決めなくても、6.5目のコミが有るんだから結局は同じでしょう?」と言う言い訳をしました。
勝負に拘る人は、最初に黒石から打ち進められるので、戦略が自分のペースで進められると決めつけ、先ずは黒石を手元に引き寄せたがる傾向が強い様に見受けられます。

サッサと黒石を採る事は、白石を持たされた相手側にしてみると「黒さんは余り礼儀をわきまえない人だな」と、感情を壊しかねません。

ホンの小さな出来事のように思えますが、囲碁は日本においては礼儀をとても大切に考えるゲームで有りますから、やはりキチンとした作法を身につけておくべきです。
そうすることで、相手の人とは心地よい対局が繰り広げていける訳です。

私が打っていた隣の席では、小学校の低学年の男の子が、対局前に先ず乾いた布で丁寧に碁盤を拭居ておりました。そして、対局を始める前に「お願いします」と一礼をしていたのが、とても爽やかで気持ちよく感じました。


日本では「お願いします」外国では「Hi!」でゲーム開始です。キチンとした挨拶が出来、マナーも立派で有れば、対局後には勝敗はさて置き、とても爽やかな人間関係が築きあげられている事に気が付くはずです。

是非とも、にぎりのマナーだけは覚えておいてほしいものと、本日PCのキーボードを叩いた様な訳です。
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